薬師寺東塔基壇土 灰釉茶碗 ― 尾西楽斎様
尾西楽斎様による本作は、千三百年の歴史を刻む薬師寺東塔の基壇土を胎土に調合し、藁灰を主体とした灰釉で静かな窯変を得た茶碗でございます。古塔の祈りと大和の大地をそのまま掌に封じ込めたかのような佇まいは、侘び寂びの本質を現代に伝える逸品と言えましょう。以下、五つの観点から魅力を詳しくご紹介いたします。
一、胎土 ― 基壇土が生む重厚な土味
薬師寺東塔の基壇(きだん)の補修時に採取された古土は、鉄分・珪酸を豊富に含み、長い年月で微細な鉱物結晶を育んでおります。これを信楽系荒土にブレンドすることで、胎土には星屑のような石英粒が点在し、焼成後もざらりとした砂味と渋い赤褐色が残ります。底部に露わになった胎土の赤紫が、釉調の静けさと好対照を成しています。
二、灰釉と窯変 ― 静かな景色を描く乳白の滴
藁灰主体の灰釉は、高火度還元焼成で琥珀がかった茶褐色からオリーブ色へと微妙に揺らぎ、口縁付近では乳白の釉しずくが“こぼれ萩”のように垂れています。この滴りは、夜明け前の雫や塔の瓦に残る朝露を思わせ、茶碗に動きと奥行きを与えています。
三、造形 ― 筒茶碗の端正さと轆轤目の韻律
口縁をわずかに外反らせ、胴はほぼ垂直に立ち上がる筒形に仕立てられています。胴周りに刻まれた微かな轆轤目が、灰釉のなだらかな流れを受け止め、基壇石の層理を連想させる視覚的リズムを生み出しております。高台は低めに削り上げ、全体の重心を落ち着かせることで、手取りの安定感を高めています。
四、手取りと実用性 ― 侘びを湛えた優れた機能美
外肌の細かな粒子が指先に心地よい抵抗を与え、掌に収めた際に自然と止まる安心感がございます。内面は灰釉が鏡面状に溜まり、抹茶の緑を柔らかく映えさせるとともに、茶筅の当たりを滑らかに整えます。泡立ちはきめ細かく、抹茶が優しい光沢を帯びて浮かび上がります。
五、文化的意義 ― 「祈り」と「再生」を映す一碗
薬師寺東塔は「凍れる音楽」と称される名建築であり、その基壇は塔を支え続ける信仰の礎です。本作に基壇土を用いることは、長き祈りと再生の歴史を茶碗に封じ込める行為に他なりません。灰釉の穏やかな景色は、仏法の静寂と大地の安らぎを同時に湛え、茶席においては一服の抹茶を通じて過去と現在が響き合う“時の交差点”を創出いたします。
総括
乳白の滴がこぼれる淡茶褐の灰釉、胎土に潜む石英粒の煌めき、そして薬師寺東塔基壇土が語る千年の祈り――尾西楽斎様の「薬師寺東塔基壇土 灰釉茶碗」は、侘び寂びと崇高さを兼ね備えた珠玉の一碗でございます。茶席に据えれば、客人は抹茶の香りとともに古塔の静謐を味わい、心静かな祈りの余韻に包まれることでしょう。