多賀井正夫様との対談

今回は、多賀井正夫様の三米窯(さんよねがま)にお伺いして、お話をさせていただきました。
【多賀井】→ 多賀井正夫(たがい まさお)様
【西村】→ 西村一昧(にしむら いちまい)甘木道 店主


【西村】陶芸をはじめられたご経緯をぜひお聞かせください。

【多賀井】私は大学を卒業したあと、三年半ほど一般企業でサラリーマンとして働いておりました。その間はまったく陶芸に触れる機会がなく、趣味として粘土をこねた経験すらありませんでした。ところが二十八歳の頃、車で通勤していた道すがら、ふと目に留まった「陶芸教室スタッフ募集」の張り紙が大きな転機となりました。

【西村】まったく畑違いの世界への飛び込みですね。その募集に惹かれた決め手は何だったのでしょうか。

【多賀井】正直なところ「面白そうだな」という直感が最大の理由です。募集内容は学校教材の会社で、図工や美術の授業で使う粘土作品を窯で焼成して納品するスタッフでした。陶芸の技術を求められたわけではなく、言わば“運搬係+焼成係”です。それでも、粘土の手触りや窯の炎に興味を覚えた私は働きはじめました。

【西村】最初は青瓷(せいじ)とは無縁だったわけですね。

【多賀井】ええ、青瓷どころか、釉薬(ゆうやく)という言葉すら知りませんでした。入社後半年ほど経った頃、社長の奥様から「轆轤(ろくろ)ぐらい回せたほうがいいよ」と勧められたのが本格的なスタートです。掃除をしながら教室の生徒さんが挽く轆轤を眺めているうちに、自分でもやってみたいという思いが募りました。ところが最初に挽いた湯呑は歪みだらけ——「こんなものが楽しいのか?」と自問しつつも、土と格闘する日々が始まったのです。

【西村】社会人経験を経た二十八歳での挑戦。スタートは決して早くない分、公募展を意識されたと伺いました。

【多賀井】そうですね。私は美大出身ではありませんから、客観的な評価を得るには公募展しかないと考えました。どうせ出すなら目立たねば、と大きな作品に挑戦しました。会社勤めの傍ら、夜は工房に残って制作し、休日には美術館で古今東西の名品を観察——そして観たばかりの造形を自分なりに再現しようと試みる。その繰り返しでした。もちろん理想どおりにいかず、五客揃いの器を作ろうとしても寸法が合わず、ひたすら練習の日々です。

【西村】その努力を十七年間も続けられたとか。途中で独立を迷われた時期もあったのでは?

【多賀井】入社五年目を過ぎた頃から「このまま会社に残るか、独立するか」で揺れ始め、十年目には本格的に決断の時が来ました。当時は結婚したばかりで、生活の見通しも立たないまま独立に踏み切る恐怖がありました。妻には「決めるなら早いほうがいい」と背中を押されましたが、陶芸教室を開いて生計が成り立つか、個展経験もない自分の作品が売れるのか——不安は尽きません。最終的には「やらずに後悔するより、やって後悔しよう」と心を決め、約十年前に独立しました。

【西村】当時はまだ青瓷ではなく、赤土や鉄釉の作品を焼かれていたそうですね。

【多賀井】はい。古典技法を学ぶ中で、知り合いの作家さんから亀甲貫入(きっこうかんにゅう)の釉薬レシピを教えていただき、七寸・八寸の皿を試作したところ幸いにも売れました。その成功体験が「いずれは青瓷にも挑戦してみたい」という思いにつながります。とはいえ、青瓷の世界は奥深く、いわば“磁胎(じたい)の王道”。リスクが大きいぶん、得られる美も格別です。

【西村】具体的にはどのあたりが“難関”なのでしょうか。

【多賀井】まず釉薬掛けの厚さ管理がシビアです。一般の釉薬なら一度だけサッと浸し掛けで済みますが、青瓷は幾度も重ね掛けし、最終的に釉厚3ミリ超を確保します。この厚みがないと独特の青味が出ません。掛けすぎれば流れて作品が台無し。素地を極限まで薄挽きし、乾燥後はカンナで削り込み、強度のぎりぎりを攻めます。

【西村】現在は歩留まりも安定してきたと伺いましたが。

【多賀井】大作クラスになると十点焚いて一、二点取れれば御の字です。

【西村】こちらの“三つ足ぐい呑”も独創的ですね。脚付きの青瓷は珍しい印象です。

【多賀井】ありがとうございます。青瓷は存在感と品格が大事です。それを重んじて多賀井の青瓷と呼ばれるように日々、楽しみ、苦しみ美が生まれるように自然と向き合ってまいります。

【西村】貫入への理想もお持ちだとか。

【多賀井】はい。私は縦方向に走る貫入を好みます。貫入は焼成後も吸水膨張で一生入り続けるため、やきものを育てる愉しみがありますし、日本人が好む“景色”の一要素でもあります。

【西村】今後、どのような青瓷像を築いていかれるお考えでしょうか。

【多賀井】青瓷作家は国内外に多くいらっしゃいます。その中で「一目見て多賀井の青瓷」と分かる個性を確立したいと思っています。色味と造形、その両面で挑戦します。伝統的な“品格”を一度壊してみることも必要でしょう。個展は自由な発表の場、逆に公募展は“やりすぎ”ると落選します。そこが又、考えながら制作することが楽しめるところですね。

【西村】青瓷こそ至高、という熱が伝わってきます。

【多賀井】実を言うと、作り始めた頃は「青瓷は皇帝の愛した高貴なやきもの」などという背景も知りませんでした。岡部嶺男様の名品を目にしても、当時はその価値を理解できなかった。それが今では、釉薬の奥深さに魅せられ、気づけば青瓷にのめり込んでいます。終わりなき探求——それが私にとっての青瓷です。

【西村】作陶への情熱、よく理解できました。本日は貴重なお時間をいただきまして、また様々なお話を伺いましてありがとうございました。

多賀井正夫 – 高級陶器の専門店【甘木道】