藤平寧様との対談

藤平寧さんとの対談は「藤平伸記念館」にて行われました。今回は記念館館長で陶芸作家でもある藤平三穂さんも同席され、和やかな雰囲気でお話をお伺いしました。

【藤平】→ 藤平寧(ふじひら やすし)さん
【西村】→ 西村一昧(にしむら いちまい)甘木道 店主

【西村】藤平寧さんは、お父様と一緒に作陶されていたのでしょうか?

【藤平】いえ、仕事場は別ですので一緒にはしてないです。しかし、窯詰めと窯焚きは僕が担当していました。

【西村】それは、小さいころからしていたのでしょうか?

【藤平】いえ、この世界に入ってからですので、23歳、24歳の頃からです。

【西村】なるほど。実際に父が作っているのは見られましたか?

【藤平】実際に作っているところはあまり見たことがありません。出来上がったものを見ることが多かったです。

【西村】お父様は作陶をはじめる時期が遅めでしたね。結核になられて30歳からと、遅めのスタートと聞いています。さらに、抹茶碗を作るのはそこから加えて40年となるんですね。

【藤平】父はお茶の世界は怖いと言っていました。

【西村】作陶を初められて、初期の作品のモチーフとしては人形とかでしょうか?

【藤平】生活雑器などからはじまりました。花瓶などです。

【西村】そこから、独自の詩的な藤平陶芸に移っていったということですね。

【藤平】遊びだしたのは後半です。芸大に勤めていましたが、65歳で退官した後、そこからが今のスタイルになったと思います。遊び心の入ったからくり人形とか、銅の棒やシルバーを作ってみたりしていました。

【西村】作品名「ブランコ」が面白くて好きです。実際に揺れる作品が面白いと思います。

【藤平】作風にはだいぶん変遷があります。この前の展示(藤平伸記念館)が40代~50代で、釉薬よりも造形に関心があった時期だと思います。

【西村】同時代では、八木一夫さんがおられますか?

【藤平】一緒に芸大で先生でした。他に鈴木治さんがいました。

【西村】同じ職場で活躍されていたのですね。藤平寧さんがこの道に入るのはどういった経緯でしょうか?

【藤平】大学を出てから、1年間、職人を育成する陶器の学校に行きました。家に戻って自分のことをしはじめました。

【西村】そこから父の手伝いがはじまったのでしょうか?

【藤平】父の手伝いはしていないです。

【西村】父の影響というのは、どのように受けるのでしょうか?

【藤平】今から考えると辰砂は父から見ているので影響があったと思います。

【西村】辰砂を使うとなると毒々しい赤の印象があるのですが、藤平さんの陶芸は全く違いますね。


【藤平】それは(作品を)鞘のような箱に入れて、まわりに辰砂を塗っておくとふわっと揮発します。他にはそういう技法は使われていないと思います。

【西村】藤平さんは抹茶碗も轆轤を使わず、こだわった作陶をされていると思います。



【藤平】轆轤を触ることはないです。轆轤には固い印象があります。これは父のアドバイスが効いています。仕事場に時々入ってきて、ちらっと見て、「器は石膏に打ち付けてやるやりかたもある」と言ってくれました。そうやって導いてくれていたのだと思います。

【西村】さりげなく導いてくれたのですね。藤平さんの花入など、重力で沈んでいった作為のなさから生まれる自然な造形が面白いと思っています。釉薬の表情の優しさや自然な感じも独自の境地だと思います。

【藤平】そういうところはうちの家風かもしれません。

【西村】最近は、どういった作品に取り組まれていますか?

【藤平】今は、器が仕事の主流になっています。特に食器をやっています。それに加えてオブジェを作っています。

【西村】食器というのは、普段使いのですか?

【藤平】主に料理屋さんのものを作っています。

【西村】オブジェと食器は同じような考えをもって作っていますか?

【藤平】別ですね。器の仕事をしているときに、オブジェのアイデアが浮かんできます。アイデアが浮かんだら横で描きとめるか、すぐにオブジェを作り始めるかです。オブジェを作っているときは、オブジェに集中しています。

【西村】オブジェの方が集中できるんですね。

【藤平】オブジェの方が集中できるのだと思います、それは僕のやりたいことが造形だからだと思います。

【西村】オブジェの作品は作ってみて思い通りにいきますか?

【藤平】違う場合があります。焼いてみて違う場合もあるし、違っていても良い場合もあります。それがあるから続けているのだと思います。

【西村】違っていて良い場合とはどういうパターンですか?

【藤平】色というか、調子というか、質感というか、毎回新鮮です。オブジェは電気炉で焼いてガスで還元しています。電気で900度まで上げてからガスを入れます。

【西村】その方法だと窯が傷んでしまいそうですが、傷まないのですか?

【藤平】傷みます。傷みますが仕上がりを追及してそうしています。

【西村】それは、すごいことですね。金を使った作品は昔から作られていますか?


【藤平】昔から作っています。

【西村】銀の作品は変色すると修理できるんでしたっけ?



【藤平】そうです。きっかけがあってやるようになりました。銀のやり方を職人さんに教えてもらいました。

【西村】銀と金は扱いが違うのですか?

【藤平】全然違います。銀は粉です。

【西村】シートを張り付けていると思っていました。

【藤平】そのようなやり方もありますが、銀は粉を水で溶いています。一度焼締めて赤の上絵を入れてから、それが接着剤となります。それに対して金は液体です。銀を使う場合も、金も使う場合も形にどう合わせていくのかが重要です。作品は、朝うつらうつらしている時にインスピレーションが浮かびます。他には、作業中は集中しているのときが浮かびます。

【西村】お父様は、朝早くから作業されていると知りました。

【藤平】そうです。父はずっと朝型で夕方は4時にとっとと帰っていました。朝一番のバスに乗って仕事場に向かっていました。規則正しい生活をしていました。

【西村】健康的な生活ですね。

(藤平さんの後ろの写真が「詩情の陶芸家」とも呼ばれたご尊父の藤平伸さんです)

【藤平】生活は几帳面でした。時間にルーズではなかったのですが、ルーティンがあって父親なりのルーティンを毎日こなしていました。しかし、作品に几帳面さがあるかといえば、歪んでいてもそれは良い。その生活の几帳面さは作品には現れません。亀裂が入っていても、そこは問題になりませんでした。昔、結核をしたので仕事をするために、健康には気を付けなければならないという自覚がありました。食べ物にこだわり、足腰も弱らせないようにしていました。健康オタクでした。



【西村】芸術家が長く仕事を続ける土台が健康とは、もっとも肝心なことだと思います。ところで、長くお仕事を続けられて作陶を辞めたくなるタイミングとかはないのですか?

【藤平】仕事はしんどいときもありますが、自分にはこれしかないと思っています。

【西村】かっこいいですね。

【藤平】仕事を続けていて良いのだろうかと迷う時もあります。でも、良いのができたらと思って頑張っています。