信楽筆洗ぐい呑 柳下季器
信楽筆洗ぐい呑 柳下季器
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幅8.4cm×6.7cm 高さ4.5cm
柳下季器 作 — 花橘の記憶を継ぎ、いまを生きる小さな筆洗
信楽焼といえば、荒々しい土の表情と自然釉が織りなす「焼き締め」の美を特徴とする、桃山陶を代表する焼物のひとつです。花入や水指など、土の力強さと素朴さを活かした器においては、古今東西、類例なき名品を数多く生み出してきた一方、茶碗においてはその数は少なく、「信楽に茶碗は少ない」という言説さえあるほどです。信楽の焼物に「草」の印象が強く、格式や秩序を体現する「真」あるいは「行」の器として扱われることがまれだったという歴史があります。
そんな信楽に、明確な形式美と秩序を与えた茶碗が、桃山後期、小堀遠州の手によって誕生しました。その茶碗の名は《花橘》。そして本作《信楽筆洗ぐい呑》は、その遠州の精神と造形を、柳下季器様が現代のぐい呑という器種に再構成した、いわば「現代に生きる小花橘」とでも呼びうる逸品です。
信楽という素材、そして「茶碗になりにくい土」
信楽焼の魅力は、焼き締め特有の土味にあります。焼成によって土の色が変化し、灰がかぶって自然釉が流れ、火の当たり具合で火色が現れる。窯の中で偶然に生まれるそうした変化を、作品の「景色」として愛でる美意識が、信楽焼には息づいています。しかしながら、信楽は「土肌を露出する」ことによって成立する焼物であるため、口をつける道具である茶碗や酒器においては、不利な条件を抱えています。口縁に土のざらつきが残れば、飲み心地は悪く、土味が強すぎれば、衛生的にも懸念が残る。加えて、信楽はもともと農業に根ざした生活雑器の系譜であり、装飾性や洗練された造形美をもつ“格式の器”とは距離がありました。そのため、歴史的に見ても信楽における茶碗の名品は稀であり、「水ノ子」や「イガ栗」などが名物とされてはいるものの、志野や楽などの名作と肩を並べるほどの存在感は持ち得ていません。
小堀遠州の「筆洗茶碗《花橘》」──信楽の格式化という挑戦
こうした信楽の素朴な地性を、まったく逆方向に引き上げたのが、小堀遠州です。
彼は中国の青銅器や唐物に見られる「筆洗(筆を洗うための器)」という格式高い器形を、信楽という“草”の土で再現し、《花橘》という一碗を作らせました。《花橘》は、三本足を模した高台を持ち、端正な鉢形を成し、焼き締めの渋さのなかに形式美が漂います。これは、武士社会の確立とともに生まれた「新古典主義」とも言える遠州の美意識を象徴する作品であり、唐物的な意匠と国焼的な素材を“まぎらかす(混ぜる)”ことで、美の新たな領域を開拓したものでした。遠州の茶は、珠光—紹鴎—利休—織部と続く侘び茶の系譜に連なりながらも、その時代的役割の違いから、「秩序」や「格式」を茶の湯に持ち込む必要がありました。侘び茶の「下克上」の精神を受け継ぎながらも、将軍家の茶頭として「表の秩序」を演出する立場にあった遠州にとって、《花橘》のような作品は、まさに両義的な美の体現であったのです。
《信楽筆洗ぐい呑》──遠州の形式を、ぐい呑に再解釈
柳下季器様による本作《信楽筆洗ぐい呑》は、その《花橘》に想を得た酒器ですが、単なる写しではありません。筆洗という形式をあえて崩し、緊張を緩めることで、ぐい呑としての実用性と温かみを備えています。造形はゆるやかで、胴には信楽特有の赤茶けた火色がにじみ、見込みにはほんのりと降灰のあとが残ります。どこか力の抜けた形が、使う者の手に心地よくなじみ、器の表情として「使い込まれること」を前提としているかのようです。
古信楽の再興と、“今”を生きる土
現代の信楽には、釉薬によってガラス質の光沢を得た「ビードロ信楽」など、新しい表現が多く見られますが、柳下様のこの作品は、あくまで古信楽の本質に立ち返ることで、美の核心を見つめ直しています。灰が自然に降りかかり、土の持つ力がそのまま焼きに現れる。美しく見せようとする作為よりも、自然のなかにある“あらわれ”を信じる。そうした姿勢が、この器全体に静かに宿っています。同時に、その素朴さが決して野暮ったさに陥らないのは、柳下様の造形的な引き算の巧みさ、余白のとり方のうまさにあります。唐物的な筆洗の形式を、焼き締めの信楽に落とし込む——その矛盾を受け入れ、なおかつ調和へと導く手腕は、遠州の思想に通じる、極めて洗練された“新古典”の姿であると言えるでしょう。
筆洗の形式とぐい呑の愉しみが交わる場所
酒を注ぎ、ぐいと一口、器を返して高台を眺め、もう一献注ぐ。
その繰り返しの中に、信楽の土と炎、遠州の格式、柳下季器様の現代的な造形感覚が少しずつ沁み込んでくる。この《信楽筆洗ぐい呑》は、まさに、飲むという行為が「歴史を手のひらで味わう」行為へと変わる瞬間を与えてくれる器です。
そして何より、本作は、これまで信楽であまり試みられてこなかった「筆洗形式のぐい呑」というジャンルを、美しく静かに切り開いた、希有な作品でもあります。
遠州の精神を受け継ぎながら、柳下様が「信楽の今」を更新する——その美意識と構想力が、器の隅々にまで染み込んでいます。
柳下 季器(Hideki Yanashita) プロフィール
陶芸家 1967 –
東京都生まれ。現在は三重県伊賀市を拠点に活動。桃山時代のやきものに魅了され、陶芸の道へ進む。信楽での修行を経て三重県・伊賀に自ら穴窯を築窯し、「神田窯」を開窯。杉本貞光氏に薫陶を受け、侘び寂びの世界を独自の視点で深く探求しつつ、楽焼や焼締、井戸、織部など多彩な作品を制作しています。柳下氏の創作において重要なテーマとなるのは、先人の技法や精神を深く学びつつも、現代の素材や独自のアプローチを取り入れることで生まれる新たな極みへの探究です。その作品は時代に左右されない本質的な美を問いかけ、観る者をより深い芸術の世界へと誘います。
活動拠点
三重県・伊賀
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作品ごとに、出来るだけ詳細をご確認いただけるように画像を掲載しておりますが、ご不明な点はお問い合わせください。
作品の色合いなどは、画像を表示する環境により若干異なることがございますが、ご理解の程お願いいたします。
作品により貫入などによる、茶碗への染み込みが発生することがございますが、それも経年変化の味わいとしてご理解いただきますようお願いいたします。