井倉幸太郎様との対談

【井倉】→ 井倉幸太郎(いくら こうたろう)様
【西村】→ 西村一昧(にしむら いちまい)甘木道 店主

【西村】 そもそもこの柳生という土地は宮本武蔵など、剣術で有名な人物がいた場所として知られていますが、具体的にはどのような場所なのでしょうか?


【井倉】柳生は、徳川家康から続く600年の歴史を持つ剣術指南役の家系が住んでいた場所です。山岡荘八が購入した旧家老屋敷で『春の坂道』を執筆しました。この作品は、史実に基づいて書かれており、徳川家康、秀忠、家光と徳川三代の将軍に仕え、兵法指南役を務めた柳生但馬守宗矩の人生を大河ドラマでは、中村錦之助さんが演じました。

【西村】 この場所で書かれたというのは、とても興味深いです。

【井倉】 そうですね。柳生流は、殺傷剣ではなく、人を生かす剣である活人剣を大切にしました。戦わずして勝つ、つまり人の心を鎮め、争いを回避することを目指したのです。武具を持つ者に対して、刀を常に右側に置き、安易に抜かないよう指導するなど、平和的な解決を重視しました。徳川幕府の平和維持に大きく貢献しました。

【西村】 ここまでバスで来る途中、忍者という文字も見かけましたが、柳生と忍者にはどのような関係があるのでしょうか?

【井倉】 忍者というと、伊賀や甲賀が有名ですが、柳生は剣術の家系です。剣術と忍術は異なるものです。

【西村】 なるほど。そういう歴史のある地で生まれて育ち、学校は大阪芸大に通っておられましたね。お父様が陶芸家ですので、入学前から父から習うことはありましたか?


【井倉】父の仕事を手伝ったりは一切なく、小学生の頃、ろくろをやりたいと言ったら「座ってみとけ」と言われた。

【西村】やりたくなりますね。

【井倉】もうちょっと大きくなって、小学校の5年生で、やりたいっていったら、再び「見とけ」「見ときなさい」と言われました。

【西村】触らせないというのは不思議な気がします。

【井倉】それで、中学になっても、高校になっても「見とけ」ですから、大学入るまでは一切土を触ったことがなかった。

【西村】それはすごいですね。大学を入ってからは? ちなみに、下宿でしょうか。

【井倉】通いでした。

【西村】けっこう遠いように思いますが、

【井倉】2時間かかります。陶芸科がありましたので。1回生は遊びみたいなものですが、実際にやってみると面白かった。2回生の時に、磁器の先生に出会いました。富本憲吉先生の一番最後のお弟子さんやった冨士原恒宣先生です。その先生が白磁を作られていた。うちは土物のイメージがあって、磁器土を見てびっくりしました。こんなに綺麗なものがあるのかと。真っ白で、ろくろで作っているところも綺麗でした。それで作品も綺麗です。そこで初めて見てびっくりして、ぼくもこれをやりたいと思いました。


【西村】そこで方向性は決まったのですか? 

【井倉】そういうことでもないのですが、磁器土を触り始めて、初めて焼き物が面白いと思うようになりました。

【西村】この柳生の地では、磁器土は取れますか?

【井倉】磁器の土は取れません。自分の思うように様々な調合をして合わせています。

【西村】そもそも青磁と白磁があって、作られている青白磁はどういった焼き物なのでしょうか。

【井倉】青磁と白磁の中間です。それをやりたいと思ったのは大学の3回生で、大阪市立東洋陶磁美術館で歴代の人間国宝展がやっていた。そこで塚本快示さんの輪花の鉢の作品がおいてあった。それを見た時にそこだけ空気が変わっていた。

【西村】その作品には特別なオーラがあったのですか?

【井倉】いえ、オーラがあるのではなく、空気がかわっていたです。

【西村】すごいですね。

【井倉】ぼくが見たときはそれが一番でした。そこでぼくもそのような作品が作りたいと思った。そこで初めて陶芸家になる意味を感じました。焼き物がこんなに空気をかえる。やるんやったらこれぐらいのものを作らなければならないと、こういう空気を変えることができる仕事なんだと、陶芸家を意識しはじめました。

【西村】花入は花がなくても存在感がある場合もあります。畳の上に抹茶碗があると、また雰囲気が変わったりします。白磁は作品の大きさの問題はありますか?

【井倉】大きさは関係ないです。小さいものでも空気を変える作品があります。オブジェも器も関係ないです。

【西村】なるほど。持ってみると大きく感じられる作品もありますし、陶器の大きさとは難しい問題です。

【井倉】なぜオブジェをあまり作らないのかというと、磁器の先生が僕に言ってくださったのが、「見て良し、触れて良し、使って良し」が陶芸を生かせる最大の特徴であると教えてもらいました。

【西村】最後の「実用・用途」があるのが大事ですね。

【井倉】そうですね。工芸作品は使える。オブジェは使えない。オブジェも触れられないものが多い。「見て良し、触れて良し、使って良し」というのを追及すると工芸品に自然となっていました。

【西村】使っていくのは大事ですね。手になじむ良さもあると思っています。磁器はあまり手になじむことがないのかもしれない。

【井倉】白磁は経年変化はありませんね

【西村】昔の南宋時代のものも変わっていないですね。

【井倉】それが磁器土の特徴の一つでもある。

【西村】磁器土は作ったときのずっと美しさが保たれているのが特徴ですよね。昔は皇帝の献上品で、寸分狂わないのが、永遠の美があったと思います。蛍手は技術が細かいと思っているのが、難しい方法ですか。

【井倉】難しさに関してはどれも難しいです。蛍手はインパクトが強いので、どのように見せるかが難しい。また出来る形が限られてくるというのがあります。蛍手をはじめたのは、蛍手がやりたかったからではないです。青白磁の土が綺麗さ、釉薬の綺麗さは土が白くないといけないし、うまく焼かないと透明感も出ない。ずっとやっていくうちに、青白磁の釉薬が自分の思う様に綺麗に焼けるようになってきて、透明度も上がり完成度も上がっていく。見ていただくお客さんはなかなか気づいてもらえない時があります。これだけで見ると気づいてもらえない。百貨店の工芸品の売り場で、一つだけ見たらなかなか気づいてもらえないです。蛍手は釉薬だけの部分があり、わかりやすい。この綺麗というのはわかりやすい。これを作ることでいろんな人に見てもらえる機会が増えるので、他のものも釉薬が、見てくださる人の目が行き届く。蛍手で新里明士さんがおられます。その方と同じでは面白くないから、違うものを作っています。僕の場合は、できる形が限られている。釉薬を綺麗にするために、温度でいうと1300℃ぐらいで、形の自由度がない。けれども、形も綺麗なのをつくりたいと思っているんで、蛍手は形も種類も限定されてしまいます。


【西村】技術的に難しいとはどういうことでしょうか?

【井倉】焼き物やモノづくりはむつかしいと思います。でも、青白磁は失敗が誰の眼にもわかりやすい。

【西村】ごまかしがきかないということですか?

【井倉】その通りです。失敗があからさまにわかりやすい。鉄がとんでいるのがわかる。割れていたり、形が崩れることがあります。ぎりぎりをせめていく青白磁を作るので難しい。技術は何も隠すことなく、蛍手のやりかたは全て説明するけれど、それでも同じものが出てこない。

【西村】今後追求していきたい方向性はありますか?

【井倉】そうですね。ずっと青白磁を綺麗だと思って飽きることがないです。泥をかけて模様にしたり。変形を利用して作っているのが壺、皿もそうです。土と釉薬がいい感じに仕上がってきています。真似をするのは大切なことですけれども、どの陶芸家も同じだと思いますが、青白磁は歴史が古いので、個性を出していくのが難しい。もっときれいな自分らしい青白磁を作りたいと思っています。自分らしい綺麗なものをつくりたいと思います。