芸術生成論12「楽茶碗考」

8歳から12歳までの子どもたちに、赤楽茶碗を描いていただいた。

何よりもこれらの絵がすべて良すぎるのだ。

絵画が自由であるということがよくわかる。

画面を四分割した絵は、季節ごとに茶碗のある景色を思い浮かべて描いている。たしかに、この色は秋と冬の間にあるようだ。茶碗一つから情景が浮かんでくるのは、なんと美しいことだろう。

 

フランスの印象派であるルノワールはフィレンツェのピッティ美術館にあるラファエロの《小椅子の聖母》を目にした際、画商ヴォラールへ宛てた手紙の中で「何と見事な絵の具のかたまりだろう」と表現した。この時、絵画を宗教的な一場面としてではなく、物質性の一部に解釈したことがわかる。小椅子に座り幼いキリストを抱きしめる聖母マリアと洗礼者聖ヨハネといった宗教的な主題を「見事な絵の具のかたまり」と評したことから、20世紀の絵画における物質性のあり方が変化したといえるのだ。

茶碗も換言すれば、本質的には土のかたまりにすぎない。これは行き過ぎた解釈とはいえない。楽茶碗は土への回帰、あるいは手の回帰が入念に準備されているように思う。

 

楽焼の歴史を少し振り返るなら、16世紀の桃山時代に初代楽家当主・長次郎によって生み出された。その起源は中国の明時代に栄えた三彩陶まで遡る。京都では、鮮やかな三彩釉を用いた焼物が盛んに焼かれており、長次郎もその技術を受け継いだ陶工の一人とされている。古い記録によれば、彼の父親とされる「唐人・阿米也」という人物が記載されており、作品は現存しないものの、彼こそが中国から三彩陶の技法を日本に伝えた人物であると推測されている。

長次郎の現存する最古の作品は、1574年に作られた二彩の獅子像であり、楽茶碗の誕生はその5年後である。楽焼は黒釉や赤釉を用いたシンプルなモノトーンの美を生み出し、一見素朴な茶碗であっても、その背景には確かな手わざがあった。そこには、長次郎に大きな影響を与えた千利休の「わび茶」の思想と美意識が強く反映されている。

楽焼は、それまでの焼物とは一線を画す新たな技術と理念によって生み出された。当初、長次郎や千利休の時代には「楽焼」という名称を使わず、「今焼」と呼ばれていた。これは「今焼かれた、新しい茶碗」という意味合いを持ち、当時としては斬新な焼物であった。初代長次郎以来450年、「楽家」として現在まで16代にわたって楽焼づくりを継承している。一般に、この「楽家」16代の楽焼を「本楽」と呼び、やがてその人気の高さから多くの脇窯が生まれた。

楽焼に共通する大きな特徴の一つは、ろくろや型を使わず、土を手でこねて形を作り上げる「手捏(づく)ね」と呼ばれる手法だろう。この手法で生まれる形は、まさにつくり手の手指の形そのものだ。そこから、へらを用いて外側と内側を丹念に削り上げることで、茶碗に唯一無二の輪郭が備わる。

焼成方法も独特で、一般的な焼きものでは窯の中に作品を並べてから火を入れ、徐々に温度を上げていくが、楽焼は温度が上がった状態の熱い窯に素焼き状態の茶碗を入れて急激に熱する。特に黒楽は約1200度という高温で焼かれ、短時間で急熱急冷することで、硬く焼き締まることなく柔らかな土の表情や手触りが生まれる。この方法で一度に焼けるのは数碗のみであり、非効率にも見えるが、「一品一様」を実現するためには理にかなった方法である。窯の温度や焼成時間が微妙に異なることや、酸素濃度の調整が効かないため、同じものが二度とできない。

楽家が豊臣秀吉の築いた聚楽第の近くに住んでいたことや、利休が聚楽第に屋敷を構えていたことから、「聚楽焼茶碗」と呼ばれるようになり、やがて「楽焼」「楽茶碗」の名が定着した。また、豊臣秀吉から「楽」の印字を賜ったとされる。いずれにせよ、「楽焼」の「楽」は「聚楽第」から一字を取ったものであり、秀吉の影響がその名に刻まれている。

 

私の習作は結論からいえば失敗だった。釉が剥げて、いやにひび割れた。しかし、失敗の楽茶碗から美しい絵は描いてもらったのだ。

習作は、赤楽茶碗「無一物」(長次郎作)を模したものだった。本歌の形は短い円筒形で、低めの高台がついている。縁は内側に少し反っており、薄く丸みを帯びている。下の方にいくにつれて厚みが増し、底は特に厚くなっている。全体に低温で焼かれた赤い楽焼の釉薬がかかっており、内側の一部は白く濁った色になっているが、外側の釉薬はほとんど乾燥している。内側の底は円錐状にくぼみがあり、赤褐色の素地が見える。高台の接地部分には4つの目跡が確認できる。

  • 口径:11.2 cm
  • 高さ:8.5 cm
  • 高台の高さ:0.7 cm
  • 高台の直径:5.0 cm

これは低温で焼かれた赤楽焼の傑作であろう。すでに重要文化財に指定されている黒楽茶碗「大黒」とほぼ同じ作風を持つ。素地や釉薬の特徴から、天正年間の後期に作られたものと考えられおり、長次郎による赤楽茶碗の代表的な作品である。茶道や陶磁器の歴史においても桃山時代の重要な作品とされていて、松平不昧が所有し、中興名物として古くから有名であった。

 

楽茶碗といえば、黒楽茶碗をまず思い浮かべるが、

私はこの赤でもない土っぽい原始的な色に親近感と敬意を感じるのだ。

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