西端正様の世界

西端正様の世界

丹波焼の名匠が焼き締めに刻む、山の時間と炎の詩

兵庫県丹波篠山市・今田町の立杭(たちくい)——。日本六古窯のひとつ「丹波焼」の里として、800年を超える歴史が息づく土地です。土と薪、そして長い時間が育ててきたこの風土に、生まれ育ち、伝統を継ぎながらも独自の美へと踏み込んでいかれる陶芸家が西端正様です。

昭和23年(1948年)生まれの西端正様は、初代・西端末晴様が興された末晴窯(すえはるがま)にて陶の道へ入られました。1969年から本格的に制作を開始されて以降、日本伝統工芸展や日本陶芸展など数々の公募展で入選・受賞を重ね、平成27年(2015年)には兵庫県文化賞も受賞されています。丹波の土に根を下ろしながら、表現は確実に広がり、作品は国内外の愛好家にも知られる存在となりました。

西端正様の器には、ひと目で“空気が変わる”ような気配があります。力強いのに乱暴ではない。荒いのに、どこか澄んでいる。丹波の土と炎が育てた迫力の奥に、研ぎ澄まされた精神性が潜んでいるからです。


造形の力が、景色を呼び込む

西端正様の作品を前にすると、まず造形の「骨格」が目に入ります。とりわけ象徴的なのが、器肌を大胆に削ぎ落とす面取りです。多面体のように刻まれた稜線が、光を受けて陰影をつくり、器の表情に緊張感と速度を与えます。

その稜線は、単なる装飾ではありません。薪窯の炎が器面を舐め、灰が降り、溶け、流れ、溜まる——その“劇”が起こる舞台そのものです。面の切り替わり、窪み、角、肩の張り。造形が強いほど、釉景はよりドラマチックに立ち上がります。

そして不思議なことに、力強い造形なのに、器全体の佇まいは静かです。荒々しさを見せたいのではなく、土の輪郭を正確に立てることで、炎が描く景色を受け止めておられる。そう感じさせる、抑制の効いた強さがあります。


丹波の核心:灰被りという“自然の釉薬”

丹波焼の魅力を語るとき、避けて通れないのが灰被りです。登り窯で長時間薪を焚くことで、薪の灰が器に降りかかり、高温の中で溶けてガラス質となり、自然釉として器面に定着していきます。

ここで生まれる景色は、作家の意図だけでは決まりません。炎の通り道、灰の量、温度の揺らぎ、置き場所、土の成分——それらの複雑な条件が重なり合い、ひとつの景色になります。つまり同じものは二つとありません。だからこそ丹波の焼き締めは、単なる器を越えて「時間の痕跡」になり得ます。

西端正様はこの偶然性を、ただ“待つ”のではなく、造形と焼成の設計で呼び込み、受け止め、完成へ導いておられます。偶然と必然の境界を手でつかむような仕事です。


風土が技を育てた:丹波立杭焼という土の文化

丹波立杭焼は、平安時代末期(12世紀頃)に始まったとされ、長い時間をかけて生活の器を焼き続けてきた産地です。華美ではなく、実用のために生まれた素朴さ。けれどその素朴さは、時代を超えてなお新しい“強さ”でもあります。

立杭で古くから用いられてきたロクロも、この土地のリズムを伝える特徴のひとつです。成形の身体感覚が器の張りや立ち上がりに影響し、結果として丹波の器には、どこか「揺るぎにくい重心」が宿ります。西端正様の作品に感じる安定感は、こうした風土の積み重ねとも響き合っているのだと思います。


白という革新:藁白釉茶盌の緊張感

西端正様の代表的な表現として、藁白釉茶盌は特筆すべき存在です。丹波焼といえば、灰・飴・鉄を思わせる落ち着いた色調をまず想像されるかもしれません。しかし藁白釉の茶盌は、その常識を静かに裏切ります。

白は、誤魔化しが効きません。釉の厚み、焼成の揺らぎ、土の起伏——すべてが露わになります。だからこそ白は難しい。にもかかわらず、西端正様の白には、緊張感と品格があります。雪景色のように静まり返った白でありながら、器としての体温が消えていないのです。

ご本人も、藁白釉の調合や焼き方を変えながら研究を続けておられる旨を語られています。同じ白のはずなのに、淡雪のようにやわらかい白、光を跳ね返すような白、わずかな陰りを含んだ白——作品ごとに異なる気配が立ち上がります。白は色ではなく、“状態”なのだと教えられるようです。


炎が描く景色:自然釉の花器

西端正様の自然釉作品には、丹波の真骨頂が凝縮されています。面取りの稜線に沿って灰が流れ、溜まり、時に筋を引き、時に斑となる。器面に現れるのは、山の稜線、朝霧、雨の名残、落葉の重なり——そんな自然の断片を思わせる景色です。

花入に一輪挿すだけで、空間の温度が少し変わります。器が風景を持っているからです。草花を“飾る”のではなく、草花と器が同じ世界の住人になる。その感覚が、西端正様の花器にはあります。


丹波赤土の魅力:土そのものが語りはじめる

もうひとつ見逃せないのが、丹波の赤土の表情です。鉄分を含む土は、焼成によって赤褐色の地肌となり、そこに灰や釉が触れることで、柔らかなコントラストが生まれます。釉で覆い尽くすのではなく、土肌を“残す”ことで、素材の息遣いが前に出てきます。

土は、情報量が多い素材です。粒子、肌理、焼き締まり、ざらつき、温度。西端正様の赤土系の作品は、その情報量を丁寧に整理し、器としての美に変換しているように感じます。飾らないのに、決して素朴に終わらない。土味が、そのまま造形の強さになっています。


自然と伝統が織りなす、静かな精神性

西端正様の作品から伝わってくるのは、「自然と対話し、伝統と遊ぶ」ことの尊さです。土・灰・炎という大きな力に身を預けながら、造形の意志で景色を受け止める。その結果として現れるのは、物質を越えた“気配”です。

茶碗を手に取ると、掌に土の温もりが残ります。景色を眺めると、時間の層が見えてきます。花器に花を挿すと、花が器の風景に入り込みます。西端正様の器は、使うほどに「こちらの感覚」を整えてくれる器です。

もし本文で何か感じるものがありましたら、ぜひ作品写真も併せてご覧ください。写真でも伝わるものはありますが、土の重さ、釉の奥行き、稜線の立ち上がり——その“実在感”は、実物に触れたときにいっそう鮮明になります。甘木道では、西端正様の作品を随時ご紹介しております。丹波の土と炎が生んだ一点ものを、暮らしや茶の湯の中へ迎え入れてみませんか。

西端正様との対談 – 高級陶器の専門店【甘木道】

西端正 – 高級陶器の専門店【甘木道】

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