落語 茶の湯

作法に限らず知ったかぶりはいけない。

落語に「茶の湯」というのがある。

この落語の教訓は、知ったかぶりを続けると大変なことになるということだが、まわりの町人が毎回つっこみを入れられずに飲み込む(抹茶と意見)構図にユーモアがある。

そもそもお茶会に一度も出席したことのない人が、泡立った抹茶に洗剤を入れるという勘違いをしたのがよくなかった。現代でも抹茶の泡が洗剤だと思い込む人なんていないだろう。
思い込みのはげしい人は、手作りの抹茶から手作りの饅頭までどんどん手を広げてしまう。

無知は仕方がないのかも知れない。しかし、見栄はよくない。
周囲は「隠居の茶会=美味しい菓子」の評判だけを聞きつける。実際に飲まされた者だけが地獄を見る “内輪だけの不幸”コメディだ。


大きな商家を息子に譲った隠居は、小僧の定吉を連れて郊外の根岸に移り住みました。ところが、毎日やることがなくて退屈。そこで隠居は、暇つぶしに屋敷に放置してあった茶室と茶道具で茶の湯でもやってみようと思い立ちます。茶の湯の知識は皆無でしたが、定吉には得意げに振る舞い、「あの青い粉(=抹茶)があれば始められるだろう」と言って買いに行かせました。

ところが定吉が乾物屋で買ってきたのは、抹茶ではなく青大豆のきな粉。隠居はそれを抹茶と思い込み、「それだ、それだ」と道具を準備します。出まかせで茶の作法をしゃべりながら、炉に炭を山ほどくべて湯を沸かし、青きな粉を釜に放り込み、どんぶりに注いで茶筅でかき回す――けれど泡は立ちません。「そうだ、泡を立てる何かが必要だった!」と言い出し、今度は石けんを買わせて釜に投入。見た目こそそれらしく泡立ちましたが、二人で飲むや否や腹をこわし、便所と布団を行き来する羽目になりました。

それでも懲りずに「茶会を開いて人に見せびらかそう」と思い立った隠居は、自分の長屋に住む豆腐屋と鳶頭、そして手習いの師匠に招待状を送ります。茶事の堅苦しさが嫌で夜逃げまで考えた豆腐屋と鳶頭は、礼儀に詳しそうな師匠の家に相談に行きますが、師匠も荷造りの真っ最中。結局三人は覚悟を決め、隠居宅へ向かいました。

隠居は例の「青きな粉+ムクの皮の茶」を点て、どんぶりで三人に回します。洗剤じみた液体を口にした三人は驚きつつも、飲まずに戻して“飲んだふり”で切り抜けました。やがて茶会が何度も開かれるうちに、「お菓子だけは一流でおいしい」と評判に。町じゅうの人が押しかけ、誰もが茶を飲むふりをしては菓子ばかり食べ、ついには懐に詰め込んで持ち帰るようになりました。

菓子代がかさみ困った隠居は、菓子も自家製に切り替えます。作り方など知らないまま、大量のサツマイモを蒸してつぶし、糖蜜を混ぜ、猪口や茶碗を型にして成形。しかし粘りで型から抜けません。思案の末、あらかじめ行灯油を塗って型抜きに成功し、「利休まんじゅう」と名付けて客に出しました。すると、とうとう誰も招待に応じなくなります。

そんな折、遠方に住む隠居の旧友・金兵衛が訪問し、例の茶とまんじゅうを出されます。事情を知らない金兵衛は困り果て、せめてまんじゅうだけでも捨てようと機会をうかがいますが、掃除の行き届いた庭には捨て場所がありません。やむなく懐に隠して便所へ行き、窓越しに見えた畑へ投げ捨てました。まんじゅうは作業中の農夫の顔に命中して張り付き、農夫は驚きつつつぶやきます。

「また茶の湯か……」

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