芸術生成論18「千家十職とは」
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千家十職とは何か?──茶道を支える職家たちの歴史と現在
茶の湯の世界に深く関わる方や、お稽古をはじめたばかりの方にとって、「千家十職(せんけ じっしょく)」という呼び名は一度は耳にしたことがあるかもしれません。
「千家十職」とは、現在の表千家・裏千家・武者小路千家の三千家を支える、十の職人の家柄(職家)のことを指します。しかし、その呼称が定着したのは意外にも近代になってからのことです。江戸期には、十家とは限らず増減があったのです。
本記事では、「千家十職」の歴史と役割、そしてそれぞれの家が作る茶道具について、詳しく解説していきます。長文となりますが、茶の湯や日本の伝統工芸に興味がある方にとって、新しい発見につながるはずです。
1. 三千家と「利休好み」の道具
三千家の成立
茶の湯の流派は数多くありますが、その中心的存在として知られるのが「三千家(さんせんけ)」です。三千家とは、千利休(1522–1591)の孫にあたる千宗旦(1578–1658)を祖とし、そこから分かれた三家をさします。
- 表千家(おもてせんけ)
- 裏千家(うらせんけ)
- 武者小路千家(むしゃのこうじせんけ)
「利休好み」の道具
三千家では、その名のとおり利休ゆかりの茶道具──通称「利休好み(りきゅうごのみ)」を用いて茶会や稽古を行うのが基本です。たとえば、
- 独特のシルエットや存在感をもつ「樂茶碗」
- 小ぶりで扱いやすい棗(なつめ)
- 余計な装飾を省いた茶杓
などは、茶の湯の侘び寂びの精神を反映した道具として広く知られています。
しかし、この「利休好み」の道具を忠実に再現し、なおかつ改良を加えられるほどの技術を持つ職人は限られていました。そこで千宗旦は、利休の茶風を守るために意欲ある職人を指導・育成したのです。その結果、生まれたのが「千家出入りの職方(しょくかた)」であり、これらが後に「千家十職」と呼ばれるようになりました。
2. 千家十職の由来と成り立ち
宗旦による職人の育成
千宗旦は祖父・千利休の茶の湯精神を継承するため、限られた職人に対して「利休好み」の再現や形状の工夫を直接指導しました。釜や茶碗、棗だけでなく、柄杓・香合・表具・袋物に至るまで、茶事に必要な道具はすべて「千家出入り」の職家に作らせるようにしていきます。
「十職」の固定化
当初は八家から十二家前後と、職家の数は流動的でしたが、江戸後期から明治期にかけて家元の行事や年忌法要での役割がより明確化されるとともに、家柄は徐々に固定されていきました。そして、大正時代に百貨店(三越)の展覧会などで「千家十職」という呼称が広く用いられるようになり、現在まで定着したのです。
3. 千家十職──十の職家とその仕事
以下に挙げる十の家柄(職家)が、現在「千家十職」と呼ばれています。それぞれが担う役割を簡単にまとめた後、各家の歴史や特徴をもう少し詳しく見ていきましょう。
1茶碗師:樂吉左衛門(らく きちざえもん)
主な道具:樂茶碗
2釜師:大西清右衛門(おおにし せいうえもん)
主な道具:茶の湯釜、鉄瓶
3塗師:中村宗哲(なかむら そうてつ)
主な道具:棗、香合などの漆塗
4指物師:駒沢利斎(こまざわ りさい)
主な道具:茶箱、棚物
5金物師:中川浄益(なかがわ じょうえき)
主な道具:建水、火箸、水注、金属製の香合など
6袋師:土田友湖(つちだ ゆうこ)
主な道具:仕服、帛紗、数寄屋袋
7表具師:奥村吉兵衛(おくむら きちべえ)
主な道具:掛軸、風炉先屏風、紙釜敷
8一閑張細工師:飛来一閑(ひき いっかん)
主な道具:一閑張の棗、香合
9竹細工・柄杓師:黒田正玄(くろだ しょうげん)
主な道具:茶杓、柄杓、竹花入、香合など
10土風炉・焼物師:西村(永樂)善五郎(にしむら/えいらく ぜんごろう)
主な道具:土風炉、茶碗、京焼の器物全般
4. 各職家の歴史と特徴
4-1. 茶碗師:樂吉左衛門
「樂茶碗」で知られる樂家(樂吉左衛門)は、千家十職の中でも特に古い歴史を持ちます。初代・長次郎(ちょうじろう)は千利休の創意のもと、轆轤(ろくろ)を使わず手捏ねとヘラで成形する“楽焼”という新しい焼物技法を確立しました。豊臣秀吉から聚楽第の「樂」の字を与えられたことが始まりと伝わります。
後継たちは「吉左衛門」の名を代々襲名しながら、時代ごとに作品を発展させ、2019年には16代が襲名。樂家独自の黒釉、赤釉など重厚かつ侘びのある茶碗は「利休好み」の真髄として今も愛されています。
4-2. 釜師:大西清右衛門
大西家は室町時代後期から400年以上続く京釜師の家柄。京都・三条釜座(さんじょう かまんざ)に工房と「大西清右衛門美術館」を構え、現在は16代清右衛門が当主を務めています。茶の湯釜や鉄瓶の鋳造を手がけ、江戸時代には幕府や大名家への納品も数多く行ってきました。釜は茶の湯の中心的存在であり、火にかける際の安定、湯の沸き具合など機能性と美しさを両立させる大西家の技は、茶人からも高い評価を受けています。
4-3. 塗師:中村宗哲
中村家は約400年続く塗師の家柄。千宗旦の次男である一翁宗守(いちおう そうしゅ)の養家から継承した塗師の流れをくみ、初代・中村八兵衛が「宗哲」を名乗ったことに始まるとされます。漆器全般を扱っていましたが、明治以降は茶道具専門の塗師としての道を深めました。棗や香合、炉縁など漆のつややかな美しさに加え、蒔絵や螺鈿(らでん)などの加飾技法にも秀でた作品が多く、代々の宗哲の名で親しまれています。近年は女性当主の13代が襲名し、歴史の新たな一頁を刻んでいます。
4-4. 指物師:駒沢利斎
指物(さしもの)とは、釘や金具を極力使わず、木と木を組み合わせて作る日本独自の木工技術。駒沢家は江戸時代初期、延宝年間(1673-1681)に初代・宗源が開業し、4代目のとき表千家六世・覚々斎(かくかくさい)から「利斎」の名を与えられました。棚物や茶箱のほか、香合や炉縁を製作したり、塗師としても高い評価を得た当主も存在しました。現代は14代が1977年に逝去して以来、名跡が空席となっていますが、甥の息子が修行中とのことで、再興が期待されています。
4-5. 金物師:中川浄益
金工(かなもの)の家柄である中川家は、初代・紹益(しょうえき)が利休に薬缶を作ったという伝承で知られます。二代目以降が「浄益」を名乗り、鉄・銅・錫などを鋳造したり打ち出したりする技術を磨きました。建水(けんすい)や火箸、水注・鎹(かすがい)など、金工品は茶事のさまざまな場面で使用されます。2008年に十一代浄益が没して以降、空席が続いているため、その技術の継承がどう進むか注目されています。
4-6. 袋師:土田友湖
茶入や棗を保護する仕服(しふく)や、茶杓や茶巾を拭う帛紗(ふくさ)など、布製品を手がけるのが袋師の土田家です。もともとは近江の武家の出でしたが、西陣織の仲買人を経て、亀岡宗理という袋師の弟子となったのが家業の始まり。
表千家六代・覚々斎の影響を受けながら、江戸時代中期以降、確固たる地位を築きます。代々の当主は「半四郎」を名乗り、隠居後は「友湖」と改名。現当主は十三代半四郎(友湖)で、手仕事で丁寧に仕覆を縫い上げる技術を伝承しています。
4-7. 表具師:奥村吉兵衛
奥村家はもともと近江の郷士でしたが、浅井家の滅亡後に浪人となり、京都で表具屋を開業。2代目吉兵衛が紀州徳川家御用を務めたことを機に名声を得ます。
表具師としては、家元の揮毫を掛軸に仕立てるだけでなく、風炉先屏風、釜敷(紙釜敷)などの紙工芸も扱います。歴代の当主は文化人との交流も盛んで、掛軸や屏風の字体や意匠にその時代の芸術性を感じられます。
4-8. 一閑張細工師:飛来一閑
「一閑張(いっかんばり)」とは、竹や木で骨組みを作り、その上に和紙を何度も貼り重ねて成形し、漆や柿渋を施す伝統工芸。明の時代、中国杭州出身の初代・一閑が清から日本に亡命し、千宗旦に認められたのが飛来家のはじまりとされます。後継者の早世などで存続の危機を幾度も迎えつつ、10代・11代あたりで大きく復興。現当主は16代・一閑で、女性当主として夫とともに家業を支えており、現代にふさわしい意匠の一閑張作品を発表し続けています。
4-9. 竹細工・柄杓師:黒田正玄
黒田家は初代が関ヶ原の戦いで仕官先を失い、浪人となった後に竹細工師へと転身した経緯を持ちます。その技が評判を呼び、小堀遠州の推挙によって幕府御用達、やがて千家にも出入りするようになりました。柄杓や茶杓の他、竹花入や竹製の香合などを製作。千家十職で使用されている柄杓の定型の一つ「正玄形」は、まさに黒田家により形づくられたもの。現在は14代が当主として歴史を受け継いでいます。
4-10. 土風炉・焼物師:西村(永樂)善五郎
西村(永樂)善五郎家は室町時代から続く土風炉師(どぶろし)で、初代・宗禅が奈良で春日大社の供御器を作り、晩年に堺の武野紹鴎から土風炉を依頼されたのが始まりとされます。その後、京都に移住し、京焼の一大拠点を築きました。
10代以降は「永樂」の名を名乗り、土風炉はもちろん、茶碗や香合など多彩な焼き物を手がけてきました。楽焼を専門とする樂家との住み分けがなされており、写し物なども多く手掛けるのが特徴です。現在は17代が継承中です。
5. 千家十職が果たす二つの役割
「利休好み」の継承
千家十職は、千利休以来の茶の湯精神を形として受け継ぎ、職人技で支えています。たとえば、茶碗や棗、釜などの形や意匠には「利休好み」と呼ばれる基本的なデザイン・寸法がありますが、これを代々忠実に再現しながらも、家元の新たな要望や時代に合わせ、微調整を加えているのです。
新たなデザインの創出
千家においても時代の変化とともに、新しい形式の点前や道具が生まれます。立礼(りゅうれい)点前の道具や、衛生面に配慮した各服点(かくふくだて)の道具など、現在のニーズに合ったものを考案する際も、家元と職家が相談し合い、試行錯誤を重ねて形にしていきます。
6. まとめ──伝統を守り、そして創造する職家
「千家十職」は、単に昔ながらの伝統を守るだけの集団ではありません。
- 何百年も続いてきた形を守る
- 家元の意向に応じ、新しい形を創造する
この二つを成し遂げることを使命としており、それこそが日本文化における“伝統”の本質を示しています。十職という呼び名は大正時代になって定着したものであり、江戸中期には十家に限らず多くの職人が茶の湯を支えていました。大火災や戦乱、時代の変化を経験しながら、家系と技術をつないできた歴史を想像すると、茶道具一つひとつから湧き上がる物語や奥深さをより感じられることでしょう。茶の稽古では、茶碗や棗、茶杓など道具の作者(銘)を知ることが大切だとされています。「この棗は中村宗哲」「この棚は駒沢利斎」……というように作者の背景に触れながら道具を拝見すると、自然と道具への愛着と理解が深まります。ぜひ、お茶会や美術館で「千家十職」の道具に出会ったら、その家の歴史や技法にも思いを馳せてみてください。几帳面な日本の伝統工芸の世界が一層おもしろく、立体的に見えてくるはずです。
おわりに
茶道は「点前」という所作に注目しがちですが、それを陰で支えてきたのが「千家十職」の職家たちです。長きにわたる技術の継承と創造があってこそ、私たちは現在も“利休好み”の美を味わうことができます。歴史を通じて何度も途絶えそうになりながら、工夫をこらして続いてきた家も少なくありません。そうした困難を乗り越えた先にある道具を手に取るとき、「これは何代目の作品なのか」「どのような時代背景があったのか」を想像するだけで、茶の湯がより深く、より豊かなものになるのです。ぜひ、一服のお茶とともに、千家十職の世界にも思いを馳せてみてください。