芸術生成論3 『最高級の茶碗とは何か』
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日本と中国の文化のどちらが優れているのか考えることは野暮だが、それはつまり共依存であり、多くは中国から伝来した文化を日本独自に解釈しているという定説の通り議論されることになる。私の友人である中国からの留学生が「屠蘇酒」を日本で飲む機会があったことに触れ、中国では千年も昔の詩文でしか知ることのできなかった屠蘇を日本の居酒屋では稀に置いている感動を述べた。屠蘇酒を飲むことは、古代中国の新年を祝う風習である。一年の邪気を払うため、唐の時代には盛んにおこなわれた。新年に年少者から年長者へという順に呑んでいくのが習わしである。
日本の屠蘇が古代中国と同様に七種の薬草を正確に調合しているかといえば疑問であるし、単にその商標を借りて販売しているだけなのかも知れない。しかし、留学生によるとほのかな漢方の香りこそ屠蘇の味わい、ということになるらしい。
中国で消滅したが、日本に残っているものの一つに、天目茶碗がある。天目茶碗こそが最高級の茶碗であると断言するのは早合点だが、茶の湯で用いられる茶碗の中では最重要であるといえるだろう。茶の湯は日本で誕生し、独自の日本文化になった。しかし、多種多様な中国製磁器茶碗が取り入れられている。天目茶碗もそうだ。
ことに磁器は、中国文化そのものである。いったいどれほど多くの中国磁器が茶席で尊ばれていることだろう。現在、日本の国宝となっている陶磁器は十四点あるが、そのうち九点が中国製である。
茶碗に限っていうと国宝は八点あり、白樂茶碗一点、志野茶碗一点の日本製、高麗物の井戸茶碗一点を除くと、他はすべて中国製の天目茶碗となる。
利休の黒樂や、織部の沓形、美濃窯の黄瀬戸など、国宝に指定されてもおかしくないのに、そのいずれも入っていない。
日本の茶の湯は、茶碗などの茶道具をいかに賞玩するかということを重視した。日本最古の茶書である栄西の『喫茶養生記』(1221年成立)は、茶の薬用功能を説き、喫茶を養生の手段だと説きながら、茶を美味しく飲むことについては全く言及しない。 のちの支恵法印の『喫茶往来』、相阿弥の『君台観左右帳記』、山上宗二の『山上宗三記』になると、茶室の様子、茶道具の飾り方、名物茶器の由来などが主に語られる。 茶の湯は茶を飲むためではなく、茶道具を賞玩するための儀式である。言い換えれば、所持した茶道具を誇示するための儀式であった。
天目茶碗について考えてみたい。天目茶碗とは宋代(990~1297)の中国で焼かれた黒磁茶碗である。漆黒の釉色が大きな特徴だが、焼造窯によって胎土、釉色、模様が異なる。天目茶碗とは日本での呼称で中国では黒盞(盞は茶碗の意味)と呼ばれる。浙江省天目山の禅院の日常什器であったものを、日本の禅僧がもって帰ったところから、天目茶碗と呼ぶようになったという。
窯変天目は世界に三点(静嘉堂文庫美術館 、藤田美術館、大徳寺龍光院)しかなく、そのすべてが日本にあり国宝となる。窯変天目は、厚くかかった漆黒の釉色の中に大小連なる銀色の斑点が浮かび、その周囲を暈状に神秘的な瑠璃色の光彩を放つ茶碗である。曜変天目という名称の由来については、いまだに日中陶磁器研究者の間で決着がつかない。日本の研究者は日本で付けられたと主張し、中国の研究者は中国で付けられたと主張する。しかし、「曜変」が最初に登場するのはどうやら日本の文献であり、「曜変」という名は宋代・明代にしても日・月・五星の異変と解釈された。それは、忌み嫌う言葉であったので、昔の中国が茶を楽しむための茶碗に付けるはずがないと解釈される。したがって、「曜変」と命名したのは日本の茶人である可能性のほうがはるかに高いだろう。
日本の将軍や茶人は、唐物の価値及び茶碗の美を求めたが、中国の皇帝や陶工は茶碗によって象徴される日本の茶の湯は、茶碗などの茶道具をいかに賞玩するかということを重視 日本最古の茶書、栄西の「喫茶養生記」(一二二一年成立)は、茶の薬用功能を説き、喫茶の理想を追い求めた。 良し悪しは別として、これも中国と日本文化の異質性を示したものである。
もともと天目茶碗は、抹茶点茶法の興起によって生まれたものである。中国では北宋、南宋時代に流行り、元・明時代には葉茶泡茶法が台頭するに従って、その姿は消えてしまった。中国で造られたにもかかわらず、一つも中国に残されていない。現物が残っていないだけでなく、中国の文献からも探しだすことができない。
『君台観左右帳記』は、渡来した天目茶碗を、曜変、油滴、建盞、烏盞、鼈盞、能皮盞と天目を七種類に分け、「萬疋の物」から「代やすし」(安物)まで克明に記している。この分類については不明な点も多いが、いかに大量の天目茶碗が伝来したかがわかる。また、曜変、油滴は、当時すでに足利将軍家を中心とする貴族茶人に珍重されていたこともわかる。宋代に入ると状況が変わる。黒磁、とくに黒磁の茶碗、すなわち天目茶碗が各地で大量に焼かれ始めたのである。これらの天目茶碗は鎌倉から室町時代にかけて日本に渡来し、青磁茶碗とともに茶の湯に用いられたのである。
国宝だから最高級といえるわけではないが、最重要ということはできるだろう。