ぐい呑み 亥　高橋道八

幅 : 6.1cm　高さ : 4.5cm

柔らかな乳白釉に包まれた端正なぐい呑は、九代 高橋道八様による「亥文（いもん）」ぐい呑です。古代文様を思わせる刻線装飾が口縁を巡り、簡素の中に荘厳を宿した一作。京焼の洗練と、土味の静けさを見事に調和させています。以下、五つの観点からその魅力と意匠背景を詳しくご紹介いたします。

１．造形美 ― ふくよかな胴と軽やかな高台

造形は口縁にかけてわずかに開く半球形で、胴部にふくよかな膨らみをもたせています。底部は絞り気味に仕上げられ、高台がやや高く据えられているため、安定感と軽快さが共存しています。指にしっとりと吸い付くような曲線は、手取りの心地よさを追求したものであり、実用の器としての完成度の高さを感じさせます。

２．釉調 ― 乳白の地に淡く浮かぶ貫入の景

表面は淡い乳白釉に覆われ、光を受けると柔らかく照り返します。釉肌には微細な貫入（かんにゅう）が生じており、経年とともに茶や酒の色が染み入り、器が“育つ”楽しみを味わうことができます。高台近くにはわずかに釉が薄まり、胎土の赤みが覗くことで、全体に温かみのある景色が生まれています。

３．意匠 ― 「亥文」に込められた原初の力

口縁下に一周する文様は、古代の動物意匠を抽象化した「亥」を表しています。鋭角的な刻線が連続し、律動的なリズムを描きながらも、全体として統一感を保っています。この連続文様は古代オリエントや縄文の器を思わせ、生命の循環と守護の象徴としての“原初的な力”を感じさせます。シンプルでありながら、古典文様の霊性を静かに宿した造形です。

４．技法 ― 刻線文様の精緻と焼成の妙

文様部分は、乾燥段階で鋭い鉄筆を用いて刻み込まれ、釉薬がその溝に流れ込むことで、立体的な陰影が生まれています。刻線の深浅は絶妙にコントロールされており、釉の厚みと光の反射によって表情が変化します。高温焼成によって釉がやや縮れ、表面に自然な艶消しの効果をもたらすことで、柔らかさと緊張感の両立が実現されています。

５．歴史的・文化的背景 ― 亥と守護の象徴

「亥」は十二支の十二番目にあたり、陰陽五行では“水”を司る方位。古来より「閉蔵（へいぞう）」すなわち生命を内に秘める象徴とされ、厳しい冬を越えて新たな命を孕む力を意味します。茶の湯や器の世界においても、亥は“忍耐と再生”の吉祥として尊ばれてきました。本作はその象徴を抽象化し、静謐な造形に込めることで、時を超えた普遍の力を表現しています。

九代 高橋道八様は、服飾意匠を学ばれた後、平成八年に八代様に師事。平成二十四年に九代を襲名され、伝統京焼に現代的造形感覚を融合させる作品を数多く手がけてこられました。本作「ぐい呑　亥」は、簡素の中に美を見出す“侘び”の精神と、古典文様の象徴性が見事に結ばれた逸品です。

掌に包むとき、静かに土の呼吸が伝わるような感覚――
それは単なる器ではなく、時を超えて受け継がれる“祈りのかたち”といえるでしょう。