柳下季器様との対談
【柳下】→ 柳下季器(やなした ひでき)様
【西村】→ 西村一昧(にしむら いちまい)甘木道 店主
【柳下】生まれは東京です。

【西村】この地(三重県伊賀市)には、いつから来られたのでしょうか。東京から移り住まれてくるとき、どのようなきっかけや思いがあったのかを伺ってみたいです。やはり大都市とはまったく環境が違うと思いますので、その変化によってご自身の作品や創作活動にも影響があったのではないでしょうか。
【柳下】28年前に来ました。
【西村】長いですね。方向性はそこから定まっていきましたか。
【柳下】詫び寂びと不易流行がテーマとしてあります。自分が決めた、桃山時代の焼き物が好きで、そこを広げて、幅が広くなりました。もともとにある部分はずっとかわっていません。不易流行とは、時代や状況に応じて変化する「流行」と、変わらない「不易」を調和させる考え方です。
【西村】桃山を理想とされているのですね。そもそも陶芸は上達を良しとするのか難しい問題です。技術的な成長が作品にどのような影響を及ぼすのか、それを意識的に捉えるかどうかは人それぞれかもしれません。上達という言葉にとらわれすぎると、逆に大切な部分が見えなくなる場合もあるように感じています。
【柳下】技術的な部分というのは、もっていて当たり前だと思いますので意識することはないと思います。技術ではなく、長くやることによって見えてくる部分がかわってきますので、より見えてくる部分が広がって、さらに本質に近づいていけると思っています。不易流行という言葉の通り自分で実行する。ここに力をおいています。
【西村】それはすべての作品に共通していますか? やはり作品ごとに考え方を変えるというよりも、根本にある作家としての姿勢や思想が、あらゆる作品に通底しているのだと感じます。逆に、作品のサイズや形状が違っていても、その根本的な考え方が変わらないからこそ、ご自身の作風としての統一感が生まれるのではないでしょうか。
【柳下】はい、そうだと思います。
【西村】今焼黒茶盌のこちらは、水に濡れたら表情が変わりますね。私はそういうところが好きです。水分や光の当たり方で姿を変えていく様子は、まさに陶芸の魅力だと思います。使う人がいれば、その人の扱い方や環境によってさらに新しい表情が生まれるのも面白いですね。
【柳下】そうです。かわりますね。私は、今焼は長次郎のことだと思っています。天然材料を基本につかっていますので、微妙な温度の具合もありますし、筆で塗る部分もあって、同じようにはならない。
【西村】筆を使っているのですね。筆で釉薬を施すというのは、とても繊細な作業だと思います。どの部分にどの程度の厚みで塗るのか、また焼き上がりをイメージしながら進めるのはなかなか難しいですよね。そこに作家様それぞれの個性が強く表れると感じます。
【柳下】長次郎は筆を使っていたと言われています。赤も黒もです。こちらは光悦の釉薬の良さもありますが、光悦は造形の部分が不易だと思っていますので、同じ光悦の手法を使ってみると、あえて作り方を変えて、たたらから起こして作っています。ワイヤーを使って板状にして、その跡が残っています。面を取ると意識がでるが、たたらを使うと全部の意識が入らないようになります。作ってみて、どこを正面にしようかと考えはじめます。
【西村】経年変化はありますか? 焼き物は使い続けることで艶や質感が変わり、いわゆる“育てる”楽しみがあると聞きますが、そのあたりは作家としてどのように捉えておられるのか興味があります。やはり作品が人の手で使われることで、時を経るごとに存在感が増していくというのは魅力的ですね。
【柳下】20年、30年使うとあります。私のお客様はマニアの人が多いので、お茶碗が特に好きです。毎日、多くの方が自己流で味を出すために、お点前よりも、育てるために毎日ハードに使う方がおられます。
【西村】デニムマニアみたいですね。3カ月に1回のお茶会より、毎日使った方が茶碗も喜びますね。使うほどに器自体が変化していく様子を間近で感じられるのは、所有者にとって大きな喜びでしょう。まるで愛用の洋服が身体に馴染んでいくような感覚を、焼き物でも味わえるわけですね。
【柳下】こちらは保存状態が悪い場合にはカビが生えてしまう可能性があります。片づける際には、乾燥させないとだめです。
【西村】そうみたいですね。私のお茶の先生も茶碗を天日干しされていました。やはり湿気が残ったまま仕舞うと、土特有の性質かどうしてもカビが発生しやすいですからね。大切な茶碗だからこそ、お手入れのひと手間を惜しまないことで、より長く、そして美しい状態で使っていけるのでしょう。
【柳下】先生のおっしゃる通りで、しまいこむのであれば、汚れをとって完全に乾燥させる必要があります。
【西村】毎日使うのがいいことですね。観賞用より実用ですね。海外の方はどうでしょうか? 日本の伝統的な使い方をされる方もいれば、インテリアやオブジェとして飾ることを好まれる方も多いのかもしれません。実際に海外での陶芸の捉え方がどのようになっているのか、とても興味があります。
【柳下】日本よりは観賞用の傾向があるのではないか? と思っています。海外でいえば、煎茶よりも中国茶の文化があります。いま、中国茶が流行しているといえます。
【西村】そうなんですね。中国茶の文化が広がると、日本の茶碗とはまた別の方向から使われたり、需要が高まったりしているのかもしれません。国や地域によって、お茶に対する考え方が違うのは興味深いですね。
【柳下】中国でぐい呑みはお酒よりお茶です。こちらで煎茶を飲みます。この大きさがちょうど良いのです。急須のサイズからすると、ぐい呑みが好まれます。
【西村】そもそもなんで小さい器が必要なのですか? 日本ではぐい呑みといえばお酒を飲むものというイメージが強いので、ちょっと不思議に思いました。中国茶の場合は、一度に注ぐ量や味わい方が日本のお茶とは違うのでしょうか。
【柳下】茶葉が高いからでしょう。中国の高級なお茶を飲む人は急須も小さくなります。
【西村】そういえば最近、落語で「始末の極意」を聴いたのですが、ぐい呑みにお箸をつけて、そのお箸を舐めるという所作があったことを思いました。これは倹約家のユーモアですね。ムキ栗のミニチュア版は初めて見ました。そういうちょっとした所作や小道具も含めて、小さな器ならではの使い方が昔から工夫されてきたのかもしれません。
【柳下】このぐい呑みサイズは、小さいから簡単にできるのではなく、むしろ手間がかかります。難しいです。
【西村】そうなんですね。確かに小さい造形の方が難しいというのもわかります。しかるべき大きさというのは、面白い問題だと思います。ご出身が桑沢デザイン研究所の、1960年代から日本のデザイン界をリードされていた。そうしたバックグラウンドが、現在の陶芸の造形にも影響を与えていると感じます。実際にどのように結びついているのでしょうか。
【柳下】私はモノづくりがしたくて、桑沢デザイン研究所に入りました。
【西村】平面ですか、立体ですか? 桑沢というとファッションやグラフィックなどのイメージもありますが、立体デザインも重要な柱ですよね。そちらで培った知識や感覚が、陶芸に活きているのでしょうか。
【柳下】立体です。建築がやりたくて入りました。建築の事務所で働いたこともありますが、建築は自分一人では完結できません。しかし、陶芸は自分一人で完結できます。建築はクライアントを見つけるところからはじまります。お客様とすり合わせが必要となります。そして、建築は一人で考えた方が良いものができる傾向にあります。
【西村】建築の事務所は何年お勤めだったのですか? 実際にその道を経験した上で、陶芸の世界へと舵を切られたわけですね。その間に、デザインの視点や構造的な考え方を身につけられたのではないかと思います。
【柳下】6年です。そのあと信楽に来て、工場に勤めながら作陶をはじめました。杉本貞光という師匠にあたるような人に出会って手ほどきを受けました。もともとは伊賀・信楽だったんですけれども、日本のお茶碗というのを考えました。杉本先生も立花大亀老師(大徳寺)に、いろいろ教わったようです。長次郎と光悦だけを見るようになりました。もともとは伊賀信楽の桃山陶をやりたかったというのもあります。毎回テーマがあって、力強さがテーマでもあります。
【西村】これからはどのような方向性で考えておられますか? どのように進化してきますか? 陶芸家として長年活動を続けてこられた経験や蓄積が、これからどんな形で作品に反映されていくのか、とても楽しみです。過去の伝統や技術を踏まえながらも、常に新しいアイデアや表現を模索しておられるようにお見受けします。
【柳下】それは延長線上に、色々と見えてきたというのもあるし、工夫するのが好きなので、僕は専門職でして、陶芸家らしくありたいと思っています。陶芸家として自分を作っていくということです。陶芸家らしくいろいろ考えていくと、材料にしても、日常からできてきます。ずっと陶器を考えつづけています。その間に、今度はこうしてみようというのが出てきます。
【西村】納得しました。本日は貴重なお時間をいただきまして、また様々なお話を伺いましてありがとうございました。