棗の選び方

棗(なつめ)の選び方

1. 概説:棗とは何か

棗(なつめ、natsume)は、抹茶を点前の際に一時的におさめ、茶杓ですくって茶碗へ移すための容器である。主として薄茶に用いられ、濃茶は原則として茶入の領域であるが、流儀・点前によっては大棗が用いられる例もある。名称は、その丸みを帯びた外形が果実の棗に似ることに由来する。

基本構造は木胎(木地)をロクロで挽き、下地〜中塗〜上塗の漆工程を重ねて仕立てる。胴部(身)と蓋部が合口(あいくち)で噛み合い、滑らかに「吸い付く」精度が実用の核心となる。寸法の標準(中棗)は径・高ともに約7cm前後の作例が多いが、意匠形では上下する。

使い方は簡潔で、長期保存は茶筒等に任せ、点前前に必要量を棗へ移し、蓋を密着させて席に出す。抹茶は湿気・光・酸化に弱いため、棗は点前運用の器と理解しておくと取り扱いが安定する。

2. 起源と歴史的展開(中国点茶から近代漆工まで)

源流は中国の点茶文化に遡るとされるが、日本伝来後、室町期の茶風の成熟とともに日本的な簡素美を帯びて独自に展開した。村田珠光—武野紹鷗—千利休へ連なる系譜の中で、器物はより質実な方向に収斂し、棗も形態の端正化塗り・装飾の節度を得た。桃山ののち、江戸期には蒔絵(平・高・研出)梨地・螺鈿などの語彙が高度化し、各地の産地技法が成熟する。

近代に入ると、琳派様式や古典意匠の再解釈(リバイバル)が進み、たとえば「光琳造」銘を掲げる後年作の棗が複数制作される。萩蒔絵螺鈿雪吹棗の同意匠・同型が1916年、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館に収蔵された例が知られ、琳派の流麗と明治〜大正期の漆工技術が結び付いた好資料となっている。戦後は展覧会制度や無形文化財制度の整備により、作家性の強い棗も併存し、現在に至る。

3. 形状による類型

棗はプロポーション開口形状が点前のしやすさと席中の印象を左右する。代表的な類型は次のとおり。

中棗(ちゅうなつめ)
標準寸法。稽古から正式の席まで汎用性が高い。抹茶の出し入れに支障がなく、取り合わせの自由度が大きい。

小棗(しょうなつめ)
中棗より一回り小さい。携行性が高く、野点などで重宝する。愛らしい縮率のため装飾が映える作例も多い。

平棗(ひらなつめ)
胴が低く口径が広い。抹茶を取り出しやすい。視覚的にも涼やかで風炉の季に用いられることが多い。

大棗(おおなつめ)
晴れの格。台子・盆点で映える。合口の精度と重量配分が要求される。

雪吹(ゆきぶき)
蓋・身ともに縁を面取りし、上下の区別がつきにくい独特形。造形の抽象性から、静かな格調を帯びる。

意匠形(文琳・瓢・太鼓など)
形そのものを見どころとするタイプ。三つ目以降の選択肢として席の表情を規定しやすい。

4. 素材・塗り・装飾・産地(木胎漆器の要点)

素材

木胎漆器(定番):朴(ほお)、栃、檜など。軽量で剛性のバランスに優れ、手当たりが良い。

檜(ひのき):香気と防湿性、整った木目を備え、上手物に用いられる。

乾漆(かんしつ):麻布に漆下地を重ねて成形。軽快で現代的な趣。

竹・籠:通気感があり、夏座敷の演出に適う。

陶胎・陶製:焼物の質感・釉景を楽しむ観賞性の高いタイプ。扱いは繊細。

※歴史的には象牙・鼈甲・角・金属(南鐐・砂張)などの素材も知られる。

塗り・装飾

真塗(黒・朱)/溜塗(ためぬり):用の美の王道。黒は「受け身の美」で取り合わせ自由度が高い。朱は晴朗、溜は奥行きのある艶を呈する。

蒔絵(平・高・研出)は祝祭性、は静謐。粉の置き、線の切れ、研ぎ出しの品位が評価点。

梨地・螺鈿・卵殻・象嵌:微光・素材感を強調し、格を一段上げる。夜目の景色に冴える。

代表的産地の性格

輪島塗(石川):地の粉下地で強度と品格を両立。蒔絵の冴えで知られる。

津軽塗(青森):多層塗りと研ぎで現れる独特模様。重ねの深みが魅力。

会津塗(福島):繊細な彫りと温かな意匠(会津絵)。

根来(和歌山):使い込みで朱の下から黒が現れる経年表情。時間が価値を育てる。

5. 選び方について(チェックリスト・価格帯・書付と共箱・鑑別)

5-1. 実用と鑑賞の両立を図る基本動線

黒真塗の中棗(通年・棚問わず)

季節感の付与(平棗=風炉期、溜塗=炉の季)

意匠の個性(控えめ蒔絵雪吹・文琳などの形)

5-2. チェックリスト(実見時の要点)

合口(あいくち):スッと閉じ、フッと抜ける。段差やガタつきがない。

重心・保持感:掌での安定。横振りで蓋が踊らない。

塗肌:艶と**面(つら)**の整い。ピンホール・波打ち・曇りの有無。

装飾:蒔絵粉の密度、線のキレ、研出の品位。螺鈿・梨地のムラの有無。

状態:口縁のアタリ、擦れ、剥落、ひび・割れ、底の薄さ(座り)。

取り合わせ適性:主役(茶碗・花・軸)と喧嘩しない節度。

付属:共箱・栞・作家情報の整合。箱書と本体の意匠・銘の一致。

5-3. 価格帯(目安)と価値の指標

入門(量産の真塗・木地溜)1〜3万円

中堅作家(溜塗・控えめ蒔絵)5〜12万円

蒔絵師の仕事(平〜高蒔絵・梨地)15〜60万円

名工・展覧会系・意匠逸品80万円〜(時に数百万円)

価値判断は総じて「木地精度 × 漆の段取り × 装飾の質 × 意匠完成度」の掛け算となることが多い。(銘や名跡のみで断ずるのは避けた方が良いかも)

5-4. 書付と共箱/鑑別の留意

共箱の蓋裏には家元花押・銘書が認められる作例がある。箱書と本体意匠・作家銘の整合を確認する。作家作に家元書付が添う場合、希少性・二次価値は上がりやすい。

「光琳造」等の銘は、様式作であることが多い。銘の有無よりも塗装・意匠・木地の実質を優先する。

中古・古作では、合口の調整跡不自然な艶(磨き直し過多)に注意する。

6. 代表的作家と作例/保管・手入れ/用語集・参考事項

6-1. 代表的作家・名跡

中村宗哲(千家十職・塗師名跡)
真塗・溜塗の“面”の美と実用性の均衡で知られる。

川端近左(表千家御用の塗師名跡)
格ある意匠と蒔絵・塗の総合力に定評。

一后一兆(加賀ゆかりの蒔絵名跡)
研出・平蒔絵の精緻さと装飾性の高さを備える。

黒田辰秋(木工・漆芸/重要無形文化財保持者)
木地構成と朱・螺鈿の緊張感に独自性。

清瀬一光(蒔絵)
琳派・大和絵の語法を踏まえた華麗で精緻な表現。

前端雅峯(蒔絵)
抑制の効いた金地、自然主題の構成に品位。雪吹・平棗ほかに優品。

6-2. 保管・手入れ

使用後:茶刷毛や柔らかな筆で粉を払い、乾いた布で軽く拭く。

汚れ:固く絞った布で点拭き→即乾拭き洗剤・アルコール不可

環境:直射日光・高温多湿・急激な乾燥を避け、共箱で保管。乾燥剤は直接接触させない。入れっぱなしによる過乾燥に注意。

点検:合口の緩み・きつ過ぎ、口縁のアタリ、塗肌の曇りを定期確認。不具合は漆工房での調整が無難。

6-3. 用語集

合口(あいくち):身と蓋の噛み合う部分。精度が点前性を左右する。

真塗(しんぬり):鏡面調の黒・朱塗。最も端正。

溜塗(ためぬり):透き漆層の奥で色味が溜まるように見える塗法。

梨地(なしじ):金銀粉を撒き、梨皮状の微細なきらめきを出す仕上げ。

雪吹(ゆきぶき):蓋身ともに面取りした独特形。

箱書・書付:共箱蓋や栞に記す題や花押。真正性・来歴の手掛かり。

6-4. 参考事項(取り合わせの基調)

景色が強い茶碗には黒真塗で受ける。

黒樂の端正には秋草など控えめな蒔絵

青磁系には溜塗の奥行き(箔の主張は抑える)。

風炉期の棚物には平棗・籠趣が涼感を添える。


まとめ
棗は、実用器であると同時に漆芸・蒔絵の凝縮である。形(中棗/小棗/平棗/大棗/雪吹/意匠形)、素材(木胎・檜・乾漆・竹・陶)、塗り(真塗・溜・梨地)と装飾(蒔絵・螺鈿等)が相互に関係し、合口・塗肌・状態・付属(書付・共箱)を確認することが要点となる。価格は幅広いが、評価軸は常に木地精度・漆工程の確かさ・装飾の質・意匠の完成度に置くと、実用と鑑賞の両立が図れる。近世から近代、現代に至る多様な作域をふまえ、席の主客の均衡を意識して一つずつ選びたい。

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