芸術生成論14「抹茶碗とは何か」
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抹茶碗とは何か
一見すると最も単純な茶道具のようにも思える抹茶碗。しかし、実際には日本の茶道と陶芸における中心的な存在である。国宝の茶碗は8碗、重要文化財の茶碗は47碗となる。ただの器が「抹茶碗」としての高みに至る理由とは何だろうか。答えはシンプルで、それは「茶を点て、飲む」という行為である。この意味において、茶を点て、飲むことができる器であれば、どんな器でも茶碗となり得るだろう。
抹茶碗とは、冷めないようにお茶の香りを楽しむなどのお茶を味わうための配慮はもとより、茶巾摺や茶筅摺など点前の使い勝手を備えた茶の湯の器としての機能を施された茶椀を指す。
文字だけを見れば抹茶を入れるお碗のことだ。だが、日本の歴史の上では必ずしもそうとは限らないのだ。平安時代の記録には、「茶碗の壺」といった不思議な記述が登場している。実は当時の日本では、中国から輸入された釉薬のかかった陶磁器全体を「茶碗」と呼んでいたのである。鎌倉時代に寺院で抹茶を飲むのに用いられた「建盞」や「天目」は、茶碗とは分けて呼ばれていようだ。
そこで重要な疑問として挙げられるのは、「良い茶碗」とは何か、ということだ。なぜ愛好家たちは、ただのスープボウルでも十分なのに、何十万、何百万円、さらにはそれ以上の金額を費やして茶碗を購入するだろうか。その背景を理解するために、茶碗のデザインと歴史を簡単にみていきたい。
抹茶碗の歴史
日本人の茶碗への愛は、800年以上前に中国から茶が初めて伝来した時代に遡ります。茶とともに、中国の茶人たちが最高の茶器と称えた見事な建窯(けんよう)の茶碗も日本に伝えられました。これらの茶碗は、後に「天目」と呼ばれるようになります。天目茶碗は、茶を点てた際に泡と暗い釉薬が美しく対照を成す点、茶の熱を保つ厚い釉薬や構造、そして縁のくぼみにより激しく泡立てた茶がこぼれにくい設計が評価されました。これらの中国製の茶碗は当時の日本の上流階級で珍重され、それを模倣した天目様式の茶碗が国内で作られるようになりました。
数世紀後、日本の茶道の様式は、中国の壮麗で格式張った美学から、より簡素で質素、かつ厳かな「わび茶」の精神へと移行しました。この新しい様式では、韓国の「井戸茶碗」が特に人気を博しました。井戸茶碗は、粗削りでシンプルな形状、土の素朴な色合い、不均一な形状が特徴であり、天目茶碗の華麗さとは対照的な魅力を持っていました。韓国ではこれらの茶碗を農民が日常的に使用する器として親しまれていましたが、日本では「わび」の精神を体現する芸術作品として高く評価されました。茶を点てる行為によって、農民の粗末な器は価値ある茶碗へと昇華したのです。
日本茶道史における最も著名な人物である千利休は、この「わび」の概念をさらに進化させ、楽茶碗を開発しました。天目や井戸茶碗が轆轤(ろくろ)で成形されていたのに対し、楽茶碗は手びねりによる自由な形状が特徴で、微妙に歪んだフォルムを持っています。赤や黒のシンプルな釉薬で仕上げられた楽茶碗は、利休の簡素な茶の美学を体現しており、初めて国産品として日本独自の美意識を確立しました。
良い抹茶碗とは何か
美的要素に加え、実用的な要件も「良い茶碗」を定義する重要な要素です。茶碗の設計は、芸術的表現と実用性のバランスを取る陶芸家の技術を反映しています。具体的には以下の要素が考慮されます。
・サイズと形
茶碗は、茶を点てるのに小さすぎても大きすぎてもいけません。直径11〜16cm(最適は約13cm)が理想的とされます。形状も浅すぎず、茶筅が届かないほど深すぎないものが望まれます。また、高台のデザインも重要で、茶碗を片手で安定して持つための要件を満たす必要があります。
・重量とバランス
茶碗は軽すぎると安定せず、重すぎると飲みにくくなります。バランスの良さは特に重要で、例えば天目茶碗のような形状はエレガントですが、転倒しやすい特徴を持ちます。
・釉薬と質感
縁や内側の釉薬は滑らかで、飲む際や茶筅を使う際に不快感や損傷を与えないものが求められます。
抹茶碗の解剖学
典型的な楽茶碗の断面図では、以下の部分が特に注目されます。
- 口造り(Kuchizukuri): 唇が触れる縁の部分
- 胴(Dou): 茶碗の壁
- 腰(Koshi): 壁から底への移行部分
- 高台(Koudai): 底の足部分
- 茶巾摺れ(Chakinzure): 茶巾で拭く部分
- 茶筅摺れ(Chasenzure): 茶筅が触れる部分
- 茶溜り(Chadamari): 飲み残しが溜まる底の窪み
以上のように、茶碗は美学と実用性が融合した芸術作品であり、日本の茶道の精神を象徴する存在と言えるでしょう。また、西洋の陶芸においても茶碗は、独自の芸術形式としてますます注目を集めています。