芸術生成論5 『魯山人が解釈する利休と長次郎』

上記3点はすべて長次郎のものである。

利休と長次郎についての魯山人の考察がとても面白いので長文だが引用する。なお、太字の強調は筆者による。

「茶碗というものは、ただあれだけの細工物ですから、ほかの絵や染色や蒔絵とかいうような複雑な手数も研究もいらないのです。たったこれだけの (手で茶碗の恰好) 簡単なものを拵えて、それに精神と高い趣味を詰めこむことが出来ましたらいいのです。絵だったらそうは行きません。なかなかいろいろなことを研究しなければならぬ。茶碗のような簡単なわけには行きません。そこで長次郎という人が、 茶をのむ人から茶碗を拵えてくれ、と言われてつくったまでの何でもない極めて単純な器、それだけのものに脇目もしないで悟るところの精神を集中する、そこが長次郎の天分であり、偉いところです。 利休が長次郎を指導したということは何にでも書いてありますが、私は利休というはそんなに世間で言う程偉くないと思うのです。利休の書跡を見ますと、相当頑固なところがあります。それから練達の結果、強引に押すところがある。こなれた達筆であります。利休はいかにもしっかり者だったには違いない、よっぽどしっかりした人間だというような感じがいたします。しかし、長次郎は見ても、こいつはしっかり者だなというところはありません。ただ暖かい、まどかな、感じのいい楽に付き合える人間のようです。そうして貫禄では劣りません。朝鮮茶碗の中で井戸茶碗というのが有名ですが、 なぜ井戸茶碗がいいのかというと、品格がよくて、貫禄という重さがあるのです。ほかのものでは名作ながら、何か軽々しいところがありますが、そういうよさでは長次郎が個人作家としては一番秀れた人だと言っても間違いないと思うのです。利休が指導したというのは、利休が茶碗に不自由して長次郎にこういう大きさで高さはこれくらいにしてつくって貰えまいかということは言ったでしょう。自分が使ってみたいのですから………………。しかし、利休の指導によって出来たということはあり得ないと思うのです。指導で人間の力はそんなにたやすくかわるものではありません。教育というものは菜園で言えば肥料みたいなもので、瓜の蔓に茄子はならぬと言いますが、瓜になんぼこやしをや ったって茄子に変化するものでもなし、茄子が瓜に変ったりはしません。ただ少しうまそうな上等な瓜が出来るまでのものです。」

 

魯山人は、まずもってその人間性に特徴があったのかも知れない。白洲正子が「あの人は欠点が多かった」と書き、青山二郎が「あの人と関わると良好な関係をつくることは難しい」と言った。陶芸において天才であったが、しかし、それよりも書は魯山人の神髄であるところだろう。

1. 長次郎への賛美とその背景

魯山人の長次郎への評価は、茶碗作りの本質を突いている。「極めて単純な器」にこそ天分と精神性が宿ると述べているが、これは禅の精神にも通じているような印象をうける。長次郎の作品が持つ「暖かい」「まどかな(穏やかなさま)」感じは、茶の湯の精神と深く結びついており、その中に流れる静寂と調和を表現しているといえる。井戸茶碗の「品格」と「貫禄」に言及することで、長次郎の茶碗が持つ重厚感と高貴さを強調し、実用器を超えた芸術作品としての価値を認識している。

2. 利休への相対化とその意図

魯山人は一般的な評価に対して反論する形で、利休の偉大さを相対化していいるといえるだろう。利休の書跡から「頑固さ」と「強引さ」を読み取り、(魯山人の古美術への真贋の鑑定に嘘があったかも知れないが、書の分析には一点の濁りもなかったのではないか)利休が持つ人間的な側面を描き出している。確かに、利休が茶道における革命的な存在ではあったが、その方法や姿勢には一種の独断があったのかも知れない。

3. ユーモアと皮肉による深層的な洞察

魯山人の文章に随所に見られるユーモアは、単なる批判を超えている。「菜園で言えば肥料みたいなもの」という比喩は、教育が本質的な変化をもたらさないという認識を表現している。これは、個人の才能や特質が教育によって容易に変わるものではなく、教育はあくまで補助的な役割に過ぎないという洞察で、私も概ね同意できる。「瓜の蔓に茄子はならぬ」という例えも、教育の無力さを風刺的に表現し、芸術における才能や天分が最も重要であることを再認識させられる。

4. 鋭い洞察力と独自の視点

魯山人の文章は、茶碗というシンプルな器に込められた精神性を見抜く鋭い洞察力が感じられる。彼は茶碗作りの背後にある作り手の心や哲学にまで思いを巡らせ、芸術における個性の重要性を的確に捉えている。この深い洞察力は、利休や長次郎の個性や作品を単なる表面的な評価にとどまらず、その奥にある本質を見抜こうとする姿勢に表れている。

5. 独自性と反逆の精神

魯山人の文章は、当時の権威に対して臆することなく独自の意見を述べる痛快さがある。彼の視点は、既成の評価に対する挑戦であり、その独自性が強く感じられます。これは、芸術家としての魯山人自身の姿勢とも重なり、彼の芸術に対する深い造詣と情熱が伝わってくる。

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