丹波立杭焼について
丹波立杭焼の歴史と魅力
丹波立杭焼(たんば たちくいやき)は、兵庫県篠山市(現・丹波篠山市)の今田地区を中心として800年以上の歴史を持つ陶器です。六古窯(瀬戸・常滑・信楽・備前・越前・丹波)のひとつに数えられ、開窯以来、「飾り気のない素朴な生活用器」を作り続けてきました。使い込むほどに深まる味わいと、力強い土味が生み出す独特の風合いによって、多くの人々を魅了し続けています。
1. 起源と沿革
六古窯に数えられる丹波焼
丹波立杭焼は、日本を代表する「六古窯」のひとつです。六古窯とは、瀬戸(愛知県瀬戸市)、常滑(愛知県常滑市)、信楽(滋賀県甲賀市)、備前(岡山県備前市)、越前(福井県丹生郡越前町)、そして丹波(兵庫県丹波篠山市今田地区)を指します。
その発祥は平安時代末期(12世紀頃)から鎌倉時代初期にまでさかのぼるとされ、以後800年以上にわたってやきもの作りが途絶えることなく続けられてきました。
穴窯時代と登り窯時代
丹波焼の歴史は大きく「穴窯(あながま)時代」と「登り窯(のぼりがま)時代」に区分されます。
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穴窯時代(~桃山時代末期)
発祥当初から桃山時代末期までの約400年間は、斜面をくり抜いた穴窯で焼成が行われました。当時は紐(ひも)状にした粘土を巻き上げる「紐作り」で壺や甕(かめ)などの大型の生活用器を主に生産し、釉薬を使わない無釉の作品が中心でした。 -
登り窯時代(江戸時代初期~現在)
江戸時代初期(17世紀頃)に朝鮮式半地上の登り窯が導入されると、火の通りや温度管理が改善され、大量生産やさまざまな釉薬の使用が可能となります。蹴りろくろ(左回転が特徴)での成形が本格化し、茶碗・茶入・水指などの茶器や小型の徳利など、多彩な作品が生み出されました。
小堀遠州と「遠州丹波」
江戸時代初期の1611年頃からは、大名茶人として名高い小堀遠州の指導により「遠州丹波」と呼ばれる優れた茶器が数多く作られ、当時の茶人たちから絶賛を博しました。さらに江戸時代後期には篠山藩の保護育成を受け、多くの名工が活躍し、丹波焼の名声は全国に広がっていきます。
近代~現代の丹波立杭焼
明治以降は丹波焼の中心が立杭地方に移り、「立杭焼」という名称で九州や東北地方へも販路を拡大しました。1978年(昭和53年)には「丹波立杭焼」の名称で国の伝統的工芸品に指定され、現在も60軒ほどの窯元が集まる一大産地となっています。地元の若手作家も増えており、伝統を重んじながら新しい感性を取り入れた作品づくりが盛んに行われています。
2. 丹波立杭焼の特徴
「灰被り」と薪の化学反応
丹波立杭焼の最大の特徴は、登り窯で約60時間かけて焼かれる際、薪の灰と土に含まれる鉄分、釉薬が化学反応を起こして生まれる「灰被り」による独特の色合い・模様です。器の表面に灰がかかり、炎が当たる角度や温度によって色や景色が変化するため、ひとつとして同じ作品がありません。これが丹波焼ならではの“唯一無二”の魅力を生み出しています。
左回転のろくろ
多くの産地でろくろは右回転が一般的ですが、丹波立杭焼では左回転の蹴りろくろが伝統的に用いられています。この左回転特有の回転リズムと作り手の技術が相まって、素朴で力強いフォルムが形づくられます。
素朴かつ実用性重視のやきもの
六古窯の中でも、丹波焼は特に「生活用器」を中心に発展してきた歴史をもちます。壺や甕、茶器から現在の食器や花器にいたるまで、飾らない素朴さと実用性を重視するスタイルが根付いており、それが時代を経ても愛され続ける理由のひとつとなっています。
3. 穴窯・登り窯・ミニ登窯
穴窯(あながま)
桃山時代末期まで用いられていた穴窯は、山の斜面を利用して作られた窖窯(あながま)のこと。薪を焚く際に生まれる灰と火の動きをコントロールしにくい一方、偶然性が生む自然な景色(焼き色)を楽しめるのが特徴です。
登り窯(のぼりがま)
江戸時代初期以降は、連房式の焼成室が傾斜面に沿って連なる登り窯へと移行。火の通りがよく焼成時間を短縮でき、量産にも適しています。日本の古い形式の登り窯がいまなお現役で使われている産地は少なく、丹波立杭焼が国の無形文化財として選択されている要因のひとつでもあります。近年は焼成室の数を減らした「ミニ登窯」も増え、伝統的構造を活かしながら現代のニーズにも対応しています。
4. 制作工程(Production Process)
丹波立杭焼の制作工程は伝統的な方法と近代的な技法を組み合わせながら行われます。以下は主な流れの一例です。
採土 四ッ辻粘土や弁天黒土など、地域特有の原料土を坏土工場で精製し、陶土として使用。
土練り 精製された土を機械練りし、さらに手練りで空気を抜いて均一な粘度に仕上げる。
成形 左回転の蹴りろくろや電動ろくろ、鋳込み成形、たたら、手びねりなど多様な手法を駆使。一品ずつ「一品作り」で丁寧に形を整える。
削り・仕上げ 半乾きの状態で高台を削ったり、口縁を整えたりして最終的なフォルムを完成させる。
乾燥 天日干しや窯の余熱を利用して、数日かけて完全に乾かす。
素焼き 700~900℃で素焼きし、釉薬がしっかり乗るようにする。
釉掛け 木灰、ワラ灰、モミガラ灰など多種多様な灰をベースにした釉薬を使い、作品ごとに異なる色・景色を狙う。
窯詰め 焼成時に直接触れ合わないよう、灰をまぶした土の玉「ハマ」などを用い、器同士の接触を避けながら窯に並べる。
本焼き 登り窯で約1300℃まで温度を上げ、一昼夜以上かけて焼成。薪投入のタイミングや量が灰被りの景色に大きく影響を与える。
窯出し 焼成後、充分に冷却したのちに作品を取り出す。窯入れから窯出しまで約1週間かかり、開窯の瞬間は作り手にとって大きな喜びと緊張の場となる。
5. 現在の丹波立杭焼と展望
工芸・民芸・工業品の多彩な展開
現代の丹波立杭焼は、花器や茶器、食器などの工芸・民芸品から、植木鉢や酒樽などの工業用途の品まで幅広く作られています。伝統装飾技法として「釘彫り」「葉文」「印花」「流し釉」「筒描き」「墨流し」などが今なお受け継がれ、同時に電動ろくろや鋳込み法を取り入れるなど新たな試みも盛んです。
阪神・淡路大震災後の復興
1995年に起きた阪神・淡路大震災によって大消費地の需要が急減しましたが、半年ほどで持ち直し、現在は震災前の水準をほぼ維持しています。また、近年は若手作家が積極的に参入し、後継者不足に悩む地場産業が多い中で、丹波立杭焼は活性化を続けている稀有な事例とも言えます。
伝統的工芸品としての誇り
昭和53年(1978年)に「丹波立杭焼」の名称で国の伝統的工芸品に指定されたことは、丹波焼の長い歴史と確かな技術が国に認められた証です。今も登り窯が稼働する貴重な産地として、伝統を守りながらも新しい表現を追求し、多くの陶芸ファンを惹きつけています。
丹波立杭焼は、平安時代末期から続く長い歴史の中で培われた伝統と、自然の力を活かした焼成技術が融合したやきものです。斜面を生かした穴窯から登り窯への移行、左回転の蹴りろくろがもたらす独特のフォルム、そして薪の灰が生む唯一無二の「灰被り」。これらすべてが丹波立杭焼ならではの個性と魅力を築き上げてきました。
素朴でありながら力強い土味や、茶器として磨かれた洗練された美意識は、日本の工芸文化を象徴する存在と言えるます。現在も数多くの窯元や作家が、新たな感性や技術を取り入れながらも、受け継がれた伝統を大切に守り続けています。長い歴史を感じさせるやきものに親しみを覚える方は、ぜひ丹波の地を訪れ、窯元の息づかいを肌で感じてみてください。丹波立杭焼が生み出す深い味わいと奥行きに魅了されてしまいます。