芸術生成論21「初釜」

茶の湯というと、静かな茶室に身を沈め、抹茶の香りとともに侘び寂びの美を味わう光景を思い浮かべる方が多いでしょう。けれども、新しい年が明けると、その茶室にひときわ華やかな空気をもたらしてくれる行事があります。それが「初釜(はつがま)」です。今回は、茶道の一年の始まりを告げる特別な茶会「初釜」の魅力を紐解いてみたいと思います。


第一章:初釜とは何か

初釜は、新年になって初めて釜に火をかけることから生まれた茶道の行事です。いわば“お稽古始め”や“新年会”のような意味合いをもち、新しい年の門出を祝う大切な機会でもあります。古い記録では、1565年(永禄8年)の正月に「初風呂(はつぶろ)」という言葉が見られるなど、当時は「初茶湯」「初会」などと呼ばれていました。いまの「初釜」という呼び名が定着したのは明治30年代以降とされ、新春に汲まれる“若水”と呼ばれる清らかな水を使ってお茶を点てることも特徴の一つです。多くの茶室や茶道教室では、正月から1月半ばにかけて初釜が行われます。振袖や色無地、訪問着など、いつもより華やかな装いに身を包み、新しい年のスタートにふさわしい気持ちで参加する人も多いでしょう。茶の湯の世界観を存分に味わいながら、厳かでありながらも祝宴のような華やぎを感じられる──これが初釜の最大の魅力なのです。


第二章:茶室の侘び寂びと初釜の空間づくり

茶室は一見質素で何もないように見えながら、その裏に奥深い侘び寂びの精神が漂う特別な空間です。土壁の質感や木の柱、控えめな光……そうした静謐な美しさの中に迎える新年の“ハレ”の要素が、初釜にはあります。たとえば、床の間には正月らしいおめでたい掛け軸が飾られたり、若松や椿を用いた花がいっそう映えるように生けられたり──普段の茶会以上に「新春」というテーマを感じさせるしつらえが施されるのです。侘び寂びの空間に少しだけ“祝祭感”が加わるからこそ、初釜は日常の茶の湯とは異なる特別な趣を持ちます。それは、質素を尊びながらも新年を祝う華やぎを排除しない、茶道本来の「もてなしの心」がかもし出す絶妙なバランスといえるでしょう。


第三章:初釜と道具の取り合わせ

初釜では、一年の始まりを彩る茶道具の取り合わせも見どころの一つ。前回、主菓子を盛る縁高や菓子鉢など、道具が持つ美意識について触れましたが、初釜の場合はさらに豪華で縁起のよい道具が選ばれたり、新春らしい意匠の茶碗が取り入れられたりします。

新年最初に火を入れる釜は、茶席の中心的存在。その形状や銘(めい)に「松」「鶴」「寿」などおめでたい意味合いを含むものが多く、正月の祝意を表すこともしばしばです。

花びら餅・常盤饅頭

表千家では「常盤饅頭」、裏千家では「花びら餅」が初釜のお菓子として定番。白と淡い紅のコントラストが新春の雰囲気を演出し、茶席に彩りを添えます。

懐紙や袱紗(ふくさ)

正月柄や干支の意匠が入ったものを使うこともあり、小さなアイテムにも新年の装いが込められています。

 

道具の取り合わせは、茶の湯にとって単なる装飾ではなく、侘び寂びの空間をさらに引き立てるための重要な要素。初釜ならではの華やかな組み合わせは、一年で最も華麗な“道具の饗宴”ともいえるかもしれません。


第四章:四季を映す初釜の楽しみ

茶室は四季折々の変化を取り入れ、季節の魅力を深く味わう場でもあります。初釜が行われるのは真冬──しかしながら、新春の茶席には不思議と温かみが漂うのです。その理由の一つは「お正月」という晴れやかさ。たとえば、冬をイメージした掛け軸や花、そしておめでたいモチーフを随所に取り入れることで“寒さのなかにも祝意を感じる”独特の風情が生まれます。

また、初釜では以下のような点にも季節感が表れます。

若水を汲む

元旦の早朝に汲んだ水を使うことで、一年の邪気を払うといわれています。

主菓子・干菓子

正月の風物詩である花びら餅や常盤饅頭が“新春”を可憐に演出します。

冬枯れの景色を背景にしているはずの茶庭(露地)も、茶室に足を踏み入れるとどこかあたたかい。そんな微妙な空気感こそ、冬に行われる初釜の醍醐味ではないでしょうか。


第五章:初釜が生み出す「間」と「もてなし」

初釜は、単に「新年のお祝いとしてお茶を点てる」だけの行事ではありません。
前回の記事でも“主菓子が生み出す間”に触れましたが、初釜においても茶席全体の流れや演出が大きな役割を果たします。

正午の茶事の流れ

懐石料理やお酒、主菓子をいただいてからいったん中立ちをはさみ、後座(ござ)では濃茶と薄茶を順に味わう──その一連の所作は、特別な演出による“間”を生み出すのです。

ご祝儀や装い

新年ならではのご祝儀のやり取りや、晴れやかな着物・スーツで臨むことで、通常の茶会とは異なる緊張感と祝意を共有します。客としても、心をあらためて席入りすることで、いっそう豊かな時間を楽しめるはずです。

この「間」と「もてなし」の絶妙な調和が初釜の真髄。お正月特有のハレやかさと、茶の湯に宿る静けさが同居することで、ただの儀式にとどまらない奥深い感動を生み出してくれます。

 


まとめ

新しい年の始まりに行われる初釜は、茶室の侘び寂びや茶道の精神性に加えて、新春ならではの祝福ムードが色濃く漂う特別な茶会です。若水やお正月仕様の道具、季節感あふれる和菓子の取り合わせ──そうした一つひとつの演出によって、私たちは一年に一度だけ味わえる贅沢な“空間芸術”を体験することができるのです。「初釜」という言葉を耳にしたとき、少し敷居が高く感じるかもしれません。しかし、茶道の世界に身を置けば、そこには新春らしい華やかさや、互いを思いやる“もてなし”の心が満ちています。もし機会があれば、ぜひ初釜の茶席に足を運び、湯の音や点前の静けさ、そして甘い主菓子や懐石料理との絶妙なコンビネーションを全身で味わってみてください。侘び寂びの奥深さに、新年の晴れやかな喜びがとけあう、かけがえのない時間が訪れるはずです。

初釜(はつがま)

新年を迎えて初めて釜に火をかける茶会。明治30年代に「初釜」という呼び名が定着した。元旦に汲んだ“若水”を用いたり、花びら餅・常盤饅頭といった新春定番の主菓子を出すことが多い。正午の茶事として懐石料理やお酒、濃茶、薄茶がふるまわれる。服装は振袖や訪問着、紋付の色無地など、いつもより華やかでフォーマルな装いが好まれる。ご祝儀を用意する場合があるほか、懐紙や菓子切、替え足袋などが必要。

茶事の流れ(正午の茶事の例)

 席入り→挨拶→炭手前拝見

 懐石料理・お酒

 主菓子

 中立ち(休憩)

 後座→濃茶→薄茶

新春らしい道具・お菓子

 若水を汲んで点てるお茶

 表千家の常盤饅頭、裏千家の花びら餅

 新春の掛け軸や華やかな茶道具

服装・マナー

 和装なら未婚女性は振袖、既婚女性は色無地や訪問着が主流

 洋装でもシンプルエレガントなワンピースやスーツならOK

 足袋や靴下は白が望ましい

 ご祝儀、懐紙、菓子楊枝、手ぬぐい(大判ハンカチ)の持参

 

新年という特別な節目に、お正月ならではの演出と茶の湯の侘び寂びが織りなす“初釜”。一年に一度のこの機会にこそ、静寂の中で交わされる一碗のお茶と、そこに添えられた季節のお菓子をゆっくりと味わう贅沢を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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