奈良の陶芸「赤膚焼(あかはだやき)」とは
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奈良の陶芸と聞いて真っ先に挙がるのが「赤膚焼」です。五条山を中心に現在も7軒の窯元が制作を続け、茶の湯文化とともに歩んできた“雅(みやび)”のやきものとして知られます。本稿では、要点を絞った概要から詳しい歴史・技法・窯元情報、選び方とお手入れまでを一気通読できるように整理しました。
赤膚焼の概要
産地:奈良市・五条山(西ノ京一帯)および大和郡山市
背景:茶の湯との結びつきが強く、小堀遠州の「遠州七窯」の一つに数えられる伝統窯
強み:五条山周辺の良質な陶土と、中世以来の窯業の蓄積
現在:7軒の窯元がそれぞれの美意識で制作を継承
行政上の「奈良県伝統工芸」指定としては六つの窯が挙げられる一方、実際の赤膚焼の窯元は奈良市・大和郡山市に複数(一般に7窯)存在します。
赤膚焼の“らしさ”とは、土味(つちみ)のやわらかさ … 奈良の土ならではの素直で温かな風合い。茶の湯との親和性 … 風炉・火鉢の系譜を引く“用の美”。奈良絵 … 社寺や鹿など奈良の風物を描く素朴で愛らしい意匠。
歴史の流れ
1)古代〜中世:良質な土と神仏の器づくり
五条山〜西ノ京は、古代から土師氏が拠点を置いた陶土の名所。万葉の枕詞「青丹よし」は、奈良に良土があることを暗示します。
中世には春日大社・興福寺の供御器を担う土器座(赤土器座・白土器座)や火鉢座が成立し、地域の“ものづくり”基盤が整いました。
茶の湯の広がりとともに、奈良風炉や奈良火鉢が名産に。永楽善五郎家/西村善五郎らの系譜は京都にも連なり、奈良発の技術が都へ展開します。
2)近世:茶の湯と「遠州七窯」
小堀遠州の美意識とパトロネージにより、奈良のやきものは“雅陶”として評価が上昇。
郡山藩・柳沢家の庇護、奥田木白らの活躍など、美術史的トピックも豊富。
3)18世紀末:寛政年間の再興
一般に寛政年間(1789–1801)が再興期。郡山藩が京都・信楽から陶工を招き御用窯を整備し、五条山には東・中・西の三窯があったと伝わります。なお、寛政以前にも「宝暦年製」銘の遺品などがあり、連続的な陶業の営みがうかがえます。※ 郡山藩主名は史料により柳沢保光(号:秀山)/柳澤尭山など表記に揺れが見られます。
成立伝承・発掘・窯の系譜
創始伝承と雲華焼(うんげやき)
伝説では、天正年間(1573–1592)に豊臣秀長が尾張国常滑から陶工与九郎を招き五条山で開窯したとも、正保年間(1644–1648)に野々村仁清が窯を始めたとも伝わります(当時の確実な物証は乏しい)。
江戸前〜中期に使用された「雲華焼」窯跡が大和郡山市の旧町家敷地から発掘され、火鉢・土風炉などの高級茶道具が確認。堺市・京都市の出土例と合わせ、赤膚焼の系譜をさぐる重要な手がかりとされています。
寛政の再興と「東・中・西」の三窯
天明6年(1786)、郡山城下に試験窯。寛政元年(1789)に五条村赤膚山へ藩窯の登り窯が築かれ、京都五条坂から招かれた治兵衛が主宰。藩から**「井上」の名字、「赤膚山」の窯号、「赤ハタ」**の銅印が与えられました。
嘉永年間には元の窯(中の窯)を軸に東・中・西が並立。明治・大正期の恐慌や代替わりで廃窯・統合もありましたが、のちに古瀬家が「中の窯」を再興。古瀬堯三窯の大型登り窯は登録有形文化財で、近年修復が完了し見学可能です。
赤膚焼の特徴と意匠
素地と釉(うわぐすり)
赤みを帯びた素地に乳白〜灰味を帯びる萩釉(奥田木白が確立した系譜)が代表的。釉薬のかからない部分が赤く発色し、土味の美しさを引き立てます。
五条山一帯は土層が薄く採土場所で色が変わるため、窯元によって表情が多彩です。
奈良絵の世界
社寺・鹿・猿など奈良の風物、御伽草子や絵因果経に淵源を求める図様など、素朴で伸びやかな絵付けが器肌の素朴さと響き合います。
底裏には「赤膚山」銘や「赤ハタ」印、あわせて作家印・窯印が入る作もあります。
現在の主な窯元
古瀬堯三窯(奈良市) … 登り窯・中型窯・旧作業場が登録有形文化財。大型登り窯は修復を終え公開。
大塩系各窯(奈良市) … 受賞歴や系譜を持つ複数の窯が独自の作風を展開。
小川二楽(大和郡山市)様、尾西楽斎(大和郡山市)様 ほか、社寺への奉納や茶の湯の名品で知られる窯が活動中。
人名・地名で押さえる
小堀遠州:美意識の体系化と保護で、奈良のやきものに“雅”の文脈を与えた茶人。
柳沢家(郡山藩):再興・御用窯の整備で産地を制度的に支援。
奥田木白:萩釉をはじめとする赤膚釉の確立、「諸国模物處」と讃えられた名工。
永楽善五郎家/西村善五郎:奈良風炉の名工系譜。京都との接点。
五条山・西ノ京:赤膚焼の主舞台。春日・興福寺などの大社寺に隣接。
よくある質問(FAQ)
Q1. いつから始まったの?
A. 開窯時期は諸説。天正〜正保期の伝承(秀長・仁清関与説)もあれば、寛政に制度的再整備(御用窯)という見立ても。今日の赤膚焼の姿は寛政の再興で明確化しました。
Q2. いまも作られてる?
A. はい。奈良市・大和郡山市に7軒の窯元が制作を継続。奈良県の伝統工芸認定としては六窯が掲げられています。
Q3. 柳生焼との違いは?
A. いずれも奈良を代表しますが、赤膚焼は五条山×茶の湯の関係性が濃く、風炉・火鉢の名で知られた系譜を強く持ちます。柳生焼は柳生の地勢・伝承に根差した別系統です。
コレクション/購入のコツ(実用編)
用途から逆算:茶の湯・酒器・花器など、使い方を先に決めると選定軸が明確に。
土と肌合いを比較:同じ赤膚でも土色・焼き上がりが多彩。複数作例で見比べましょう。
窯元の“らしさ”:形/口縁/高台/釉調を観察し、作家・窯元の個性を把握。
来歴と箱書:茶の湯文脈に強い作品は箱書・銘・由緒が価値判断の鍵。
長く使う視点:“用の美”の器は日常で使って育てるのが正解です。
赤膚焼のお手入れ方法
洗い方:家庭用スポンジ+中性洗剤でOK。表面がざらつく器はやわらかめのたわしが有効(強く擦りすぎない)。
乾燥・保管:完全乾燥のうえ通気のよい場所へ。器同士は布や薄紙を挟み、似た形で重ねると負担分散。
汚れ・カビ:煮沸や酸素系漂白のつけ置きで概ね改善(薬剤は十分に洗い流す)。
ヒビ・欠け:状態により金継ぎ等で修復可能。無理をせず専門家へ相談を。
早見年表
古代:土師氏の拠点、奈良に良質の陶土
中世:春日・興福寺の供御器、土器座/火鉢座の成立
近世前期:茶の湯の隆盛、奈良風炉・火鉢が名産に
寛政期(1789–1801):郡山藩の保護で再興、五条山で御用窯体制(東・中・西)
近代〜現代:廃窯と再興を経て、古瀬堯三窯などが継承。現在は7窯が制作
さらに知る・訪ねる
奈良市・大和郡山市の窯元ギャラリーや工房見学(赤膚焼香柏窯など)
奈良絵の豆皿から、茶器・祭器・写しの名品まで幅広く鑑賞
歴史資料・展覧会図録・産地案内の活用(奈良国立博物館、産地資料 ほか)
まとめ
奈良・五条山の良質な陶土と、神仏・茶の湯に支えられた連綿の歴史が、赤膚焼の“やわらかな土味”と**“用の美”を育んできました。寛政の再興を経て現在も7軒の窯元**が個性を競い、奈良絵をはじめ多彩な表情が愉しめます。歴史のロマンと日々の暮らしをつなぐ奈良の器——あなたの一碗を、ぜひ見つけてください。